カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

食べられなくていい夜だった

2007-05-16 | 

 長袖を着ていると暑く感じる。とても外で活動する気になれない。汗が背中を伝ってお尻の方へ流れていく。暑くなってシャツを出してだらしなくなる。田舎なので誰も通らないけれど、後でズボンの中にシャツを入れるのが面倒だ。客が来たりするので落ち着いたらシャツを入れなければと思う。子供の頃みたいに半ズボンで過ごしたい気分だ。

 万歩計の表示が伸びない。せっかくカウントされたのに、ポケットの中でリセットされてしまったらしい。ズボンの中の圧力の問題で、リセットボタンに触れてしまったのだろう。それなりに歩数を稼いでいた場合は、非常に残念な気持ちになる。昨日そういうことになってしまって、一人ふてくされてしまった。何かもやもやした怒りがふつふつとわいてきて、誰かに当たりたい気分だ。もちろんそういうときに誰かに出会うのは危険なので、一人になりにゆく。暑いので歩けないのはさらに不満だ。結局トイレで本を読む。文化人類学の本でなるほどと感心していたらいつの間にか機嫌は治まっていた。

 事前配信の資料に目を通し、いくらか修正を要請する。思い切って色々指摘する。勝負どころなのではっきり踏み込んで意見を言う。翌日けっこう見事に返信が来て大変に嬉しかった。こういう姿勢がなにより嬉しい。本番はまだだが、少し何とかなりそうになったものだと思う。会員会議所が楽しみである。

 さて夜には三役会に代理出席。けっこう活発に意見が出ていて、なるほどと思う。現役の意見は活きがいいなあ、などと思う。ただ、印象として感じる不安な部分と、期待して延びていく部分はあんがいクロスしている問題だ。どこまで理解してやれるかということと、どこまで適切なアドバイスが可能なのだろうかということ。そういうことも育てるという意味で大切な視点だと思う。厳しく撥ねるということも時には必要だけれど、あくまでそういうことは方法論で、いつも同じようにするという考え方は間違いである。ジャッジマンにならないように。審判になってはプレーヤーではない。つまり、本当の生の視点を見失ってしまう。もちろん私見である。人によって多様にみていればいいので、そのバランスが偏らないことであろう。忌憚のない意見が出るという意味で機能的な態度は良かったと思う。
 僕のもってきた議題はなんとなく通っていない感じ。うーん。しかしこれは結局同意と感覚に隔たりはあると思う。どこも重要で、どこも大変には違いがない。これもバランス。でも、作り変えよう(ホントか?)
 終了後さらに続けて会議というか打ち合わせ。僕は初めて内容を聞いたのだが、最初は何のことなのかさっぱり分からなかった。こちらが意見を言って通ることなのだろうか。そういう疑問を最初に持ったけれど、内部からも疑問の声が上がっているという説明を受けて、それはちょっと問題以前だろう、と思う。しかし、これはメンツもあるので、たぶん引っ込まない話なのではないか。どこかで丸める動きが出なければいいがなあ、と思う。まあしかしそれは出るには違いない。予算も通っているのに引っ込めるはずがないだろう。体質というものがそう簡単に変わるものではない。どこで統合を見極めるか。結局はそういう問題になりそうな気もする。もちろんそれで何も悪くはない。それにしてももっと前段階があったろうになあ、と残念に思う。そこをすっ飛ばして始まることが、なにより問題であったのだろう。
 遅くなったのでちゃんぽんに行くという。僕には三万円のちゃんぽんになりそうだったので、パスさせてもらう。食事ならいらない。酒なら飲む。
 昨日の野球の影響で半身に痛みが取れない。ひょっとするとそのまま眠れそうだと思って何年ぶりかの飲まない夜になった。酒を飲まないので頭のおくが痛い感じは残ったが、食べられないということがなにより嬉しかった。食べなくていいというのは本当に幸福だ。食事の時間が来なければいいのにと思う。思ったより腹も減らない。なによりひどく疲れていたのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする