カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

おお、これはヒット

2007-05-28 | 雑記
 いい天気。少し黄砂が舞っている感じもするが、まずまず気持ちがいい。気温もぐんぐん上がる。これでは散歩は難しい。

 借りていたけど少しだけ観ていた「ブラック・ダリア」の続きを観る。筋を追うのに大変な映画。体調がいい時に観る必要がありそうだ。デ・パルマ映画としては平凡な気もしたけれど、つまらないわけではない。相変わらず気持ちの悪い表現が上手いものである。観ていて身もだえしてしまって困る。
 僕としては長年思い続けてきた女のもとを簡単に離れられない気がしたところだけ矛盾を感じた。外国人(例えば米国人)にはスワンクは魅力的な女性なのかもしれないけれど、アジア人の僕にはよくそこのところが飲み込めないのかもしれないと思った。しかし、綺麗だからといってふらふら性関係を結ぶという感覚はやはりよく分からない。村上春樹の小説なども簡単に男女が性的関係を結ぶが、こういうハリウッド映画の影響があるのではないか。映画的文法としてはアリかもしれないけれど、僕にはどうしてもリアルな感じがしない。少しだけでも恋焦がれた時間の描写がなければ、戻るという必然に至らないのではないか。筋の問題でそこのあたりは端折ったのだろうか。

 長男の卓球の試合を見にシーハットへゆく。本人は試合に出るわけではないが、どういう雰囲気なのか見てみたかった。ちょうど知り合いの子供が試合に負けていた。ちょっとだけ残念というか、あっさりとした悔しさが見て取れて気の毒だった。
 それにしても会場はムワーっとする蒸し暑さと、なにやら異様な臭いに包まれていて気分が悪かった。あんまり長居したくない空間である。手前の台は試合すら見ることができない角度で、配慮が足りないと思う。応援することができない設定とは考慮が必要ではないか。試合そのものに関係がないと考えているのであれば、それは認識不足である。環境は試合の展開に大いに関連がある。
 卓球の玉は風の影響があるということで会場には冷房がつけられないということであった。これも認識不足だと思う。直接風を送らない方法はいくらでもあるだろう。こういう不都合を放置したまま伝統的に続けられているという現状がスポーツ業界の病理であろう。もともと冷房設備のない会場であればそれはそれでいいのである。あるのに使えない使わせないという認識が病気だと思うだけである。
 Nぼっちゃんも娘さんのバレーの応援に来ていた。娘さんの学校は見事優勝したとのこと。帰りがけに千羽鶴を抱えている姿を拝見。お父さんによく似ているのに可愛らしくて不思議だった(失礼)。ともあれ、おめでとうございました。

 アンチョビーを探し求めてジャスコのスーパーをうろうろするが見つけられない。結局近くのマルキョウにすんなりあった。探している時間がものすごく楽しかった。もっとなんか見つからないものを探したいものである。
 この見つけたアンチョビーを使ってバーニャカウダが作られた。で、さっそく出来上がったソースで野菜のスティックを食べた。こりゃうまい。食べ終わっても気になってしまう後引き感が体を支配する。野菜に限らずいろんなものに合いそうである。唐揚とかトンカツなんかでも大丈夫なんではないだろうか。そういうものはしばらく食べられそうにないけれど、そう思うぐらいはいいだろう。そういうわけで我が家のブームになりそうな予感がするのであった。

 寝る前に岸田秀の講演をDVDで見ていると、ふたりともいつの間にか爆睡していた。話が面白くないわけではないが、聞きにくい話し方だと思った。まあ、眠たくもあったわけで、非難しているわけではない。眠れない夜の睡眠導入にいいと思った。
コメント
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