カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

メリー・クリスマス

2006-12-26 | 時事
 クリスマス会をする。僕は歯を抜いたばかりで口の調子が悪かったのだけれど、サンタの格好をして挨拶と干杯の音頭。
 こういう会なので普通に「メリー・クリスマス」というわけであるが、実は米国などでは一般的にこういう掛け声はしないという。普通はなんというか。
答えは「ハッピィ・ホリディ」。
 ニュアンス的にはちょっと違う気がするけど、よその国の習慣にケチつけても仕方がない。キリスト教徒の習慣がクリスマスなので、他の宗教の人たちがクリスマスを祝うのは厳密にはありえない。まあ、異教徒でも最近は(日本のように)実際には祝うようになっているらしいが、それだけイベントとして汎用性のある習慣なのかもしれない。しかし米国などはちゃんとキリスト教徒のほうが多数派なので、彼ら自身が他の宗派に遠慮して一般には「ハッピィ・ホリディ」というのではないかということであった。
 ちなみにクリスマスはキリストの誕生祝ということになっているが、これもかなり怪しいということが分かっている。クリスマスのお祝いの起源はドイツの土着習慣にあるらしく、いつの間にかその中のプレゼントを贈る習慣のほうが広がった。そうではあったがキリスト教で祝うんだったら、せっかくだからキリストの誕生日にしようということになった可能性が高いらしい。こういう話は歴史に詳しい人には定説なんだとか。
 さらにいうとサンタクロースの格好も米国のコカ・コーラ社の宣伝が広がってああいう赤い服に定着した。だから最初は米国だけだったが、今ではヨーロッパでもおおむねサンタはああいう感じになってきたのだという。歴史というのは後の人がつくるケースがけっこうあるのである。まあ、それって根本的に歴史なのかという疑問がないではないが…。
 まあ、日本ではクリスマスはさらに何の起源もないので普通に「メリー・クリスマス」なんだよ、というのが文化の発展の仕方なのである。
 青年会議所なんかで、よく原点に立ち返ろうなどとしたり顔でいう人があるのだが、僕はそういう考え方は幼いと思う。正しいものをとりもどすなんてことを言うのは、何処の国でも若者が言い出すことである。現在はいまさらどうにもならない。いや、なるようにしかならない。これからのことは、これからつくるよりないのである。変な権威を振りかざしても、合わないものを持ってくると歪が生まれるだけである。総合的なバランス感覚こそ大切だと、経験がものをいう領域だと、僕はいいたいだけである。
 クリスマス期間というものがあって、年明けぐらいまではお祝いしてもいいらしい。そういうわけで、みなさん「ハッピィ・ホリディ」。
コメント
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