カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

繰り返される歴史

2006-12-03 | 雑記
 断続的にであれ病臥していたという感じから、少しは復活の朝を迎えた。ちょうど日曜で、新聞をゆっくり読む楽しさをかみしめる。夜にニュース番組などを見て寝ると、翌朝の新聞はほとんど不要だということはわかるのだが、やはり活字で確認するという感じで新聞を読むのかもしれない。テレビはコメントがうるさくてわずらわしいし、新聞は文章が恣意的でわずらわしいという共に欠点はあるけれど、確認したりする場合は、やはり活字に一日の長がある。
 真央ちゃんの記録は、やはりいかにずば抜けていたのかということは新聞の方がよくわかる。しかし、映像での印象としては、時代にあった人なのかもしれないとも思う。伊藤みどりでは、高得点にならなかった時代があって、現在の真央ちゃんがいるのではないか。印象的な細さと軽さも関係があるかもしれない。回転のスピードでは村主のほうが明らかに早いが、難度ということで、ジャンプの時代が来ているのかもしれない。

 記事で気になったのは次世代DVDの紹介であった。僕はかすかにビデオ規格の記憶があるが、次世代DVDも同じような戦いになっている。どちらかの規格を選択したほうが間違いなく損をすることがわかっているので、歴史を学ばない競争社会は不毛であるといまさらながらに感慨がある。
 さて、比較のために両陣営の主張が並列してあるが、これは公平に両陣営の主張が並べられているだけで、何の意味もない気がする。まさに報道の限界を如実に表している。
 たとえば一番の違いである記憶容量の問題であるが、東芝は圧縮技術があるので問題がないという。つまりできないで無くできる。しかし松下はやはりできないという主張に終始しており、この判断は結局誰かに聞かねばならない。
 値段の問題も東芝は当然普及版の有利性を強調しているが、松下はディスク自体の値段はむしろ安いと主張している。これは店頭で確認するより仕方がない。つまりどちらかがうそをついている。
 公平に報道しようとする姿勢は必要なのかもしれないが、これだけ矛盾だけが出てしまう結果になることがわかっていて比較といえるのかどうか。どちらを選ぶのかは消費者の判断であるというのはもちろんわかっているが、過去にソニーを選択したことのある人にとっての悲しみを覚えているものにとって、割り切れない思いがある。いや、僕は素直に松下(子会社のビクターですね)を選択(正確には父か兄なのかもしれないが)したものではあるが、いつまでもベータで映画を観ていた人たちも覚えている。結局完全敗北なのでVHSを手に入れるよりないのだが、なかなか買い換えられないという心情はよく理解できた。僕はその頃からソニーが嫌いになったのかもしれない。負けたのだから仕方がないにしても、作り続けるべきだったのではないだろうか。
 さて、東芝は先行発売して普及を重視している姿勢で、松下は提携など政治的な攻勢有利ということがいえると思う。松下のことを思い出すと、これは過去のビデオの戦いのときとまったく逆の立場であることが面白いと思う。結局はシュアがものをいうということはわかりきっているが、ビデオのときと大きく違うことは、既に記憶媒体が多様化していることだ。いづれ次世代というが、ハードディスクが小型化して容量が巨大していく技術進歩の前に、ディスク自体の魅力がどこまで消費者の心をつかむものかという問題もあると思う。同じような問題は音楽媒体のウォークマンでも見られたように、カセットテープからミニディスクへ移行問題を飛び越えて、結局アップルが油揚げをかっさらってしまった。こうしたことから、いっそのこと完全にルールが違うほうが、結局は有利なのかもしれないとも思う。ほとんどの場合どのような配給方法が便利なのかということなのかもしれない。そして少しばかりのステータス。それは所有するものが味わう満足感であろう。
 まあ、僕には未来は予言できるわけもないから傍観するだけではあるけれど、どちらが勝利しただけという結果だけがすべてなのであろう。こういう戦いは社運をかけているのはわかるが、面白くはないと思う。結果重視の社会が生み出した機運のような感じもする。良くも悪くも、繰り返される時代を垣間見るほど、僕は年を取ってしまったというだけのことなのであろう。
コメント
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