カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

マラソン大会

2006-12-10 | 雑記
 長男が近所の池田湖マラソンに参加するので見学に行く。
 僕のような生粋の地元住人にとって「池田湖」という名称はなんとなく気に食わない。ここはもともと堤であって湖ではないと思う。いつの間にか公園整備され、きれいになったのには不満はない。格段に利用者も増えているようで、憩いの場として新生を遂げていることは認めよう。しかしまさに勝手に湖にすることには不満がある。立て看板に拠る説明もあるにはあるが、もともと灌漑用堤である旨は説明してある。しかし、湖になったいきさつは不明だ。まあ、今年で15回大会ということで、比較的新しい(なんて思うぐらい僕は古いのか)ために名称として過去と決別しているということなのだろうか。いまや灌漑用水のためのため池でなくなったということなのだろうか。詳細は不明だが、池田湖は鹿児島との混同もあって聞き苦しい。どこでも銀座というのも悲しくもほほえましいものだが、明らかに同じで小規模というのがさらにこの名称を気に食わなくさせている。堤がだめで湖がいいと思う根拠は何なのだろう。謎が余計に不満を大きくさせる。僕らの育った環境は、過去との決別にあるのだろうか。普賢岳が平成新山になると、歴史が消えたようで寂しいとは思わなかったか。イメージの一新なんていうが、たぶん嘘だろう。結局噴火を売り物にまちおこしをしているではないか。池田の堤にマイナスイメージがあるとも思えないが、ここで事故があって死んだ人もいないではない。まあ、そのために名前を変えていたんじゃテロと同じであろう。
 子供の頃の日常を思い起こすと、池田の堤とは文語で言うが、アクセントはあくまで「イケダン、ツツミ」であった。だからこのマラソン大会の名称は「池田ん堤マラソン」じゃなきゃおかしいと思う。というか、やっぱりぴんとこないじゃないか。
 しかしながらいつの間にか誰でも「池田湖」というようになってしまったので、僕だって「池田湖」といってしまうことが何より悲しい。老人とは、人にはわからない悲しみを抱え込むことであるのかもしれない。
 肝心のマラソン大会であるが、あいにくの小雨の中の開催となって、子供達にはちょっとだけ気の毒なコンディションだったかもしれない。大人たちも微妙に気合の少ない応援で感じがよかった。お汁粉とかなんだっけ、何か出し物もあったようだ。狭い空間に適当な人の賑わいでそれなりの盛況というのが僕には新鮮だった。
 ものすごく足の遅い子も参加していて、希望者だけの参加であるというのはたぶん嘘なんだということがわかる。民主主義は嘘が多いなあとは思うが、そういう社会なので仕方がない。
 さて、息子の番が回ってきたが、不覚にも最初の一周目(二周する)には見落とした。通り過ぎて後姿でなんとなく確認。どんどん離され後がない。二週目では完全にへばっていて歩き出しそうな気配がある。ゴール地点の手前でゴールと一人だけ勘違いして立ち止まり、再度気力を振り絞って走り出したが、ゴールの直前で追い抜かれびっくりしてゴールした後にダッシュしていた。
 後で聞くと昨日の試走のときより二つ順位が上がっているとのことだった。レベルの低いことは別にして、なかなかの頑張りじゃないかと素直に思う。得意じゃなくても、やり遂げたことに意味がある。などと勝手に僕自身が満足する大会であった。
コメント
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