「王朝百首」から

2011-10-28 | 読書
 塚本邦雄の「王朝百首」(講談社文芸文庫)を読んだ。
 書名の通り、王朝時代の頃の和歌百首が選ばれている。
 それぞれの作者の他作等も紹介されているので、その十倍くらいが収載されている。
 読み出して、しばらくして、心にのこった和歌の載ったページの隅を折りだした。
 それらの和歌十首を以下に記す。
 著者の文言には詩性を感じなかった。

 惑はずなくららの花の暗き夜にわれも靆け燃えむ煙は(藤原顯綱)
   暗闇に花、その香り、妖しい空間へ。
 またや見む交野のみ野のさくら狩花の雪散る春の曙(藤原俊成)
   桜の花びらが雪のように舞っていたなあ。
 思ふことみなつきねとて麻の葉を切りに切りても祓へつるかな(和泉式部)
   私ってどうしてこうなのかしら、こんな繰り返し。
 吹く風になびく淺茅は何なれや人の心の秋を知らする(齋宮女御徽子)
   俺も老いてきたな、色恋の思いも薄らいできたかな。
 萩の花くれぐれまでもありつるが月出でて見るになきが儚さ(源實朝)
   君も俺も、明日はこの世にいないこともあるさ。
 春日野の若紫のすりごろもしのぶのみだれかぎりしられず(在原業平)
   ああ、あの時、うす紫のころもが空にひるがえった。
 ふる畑のそばのたつ木にをる鳩の友呼ぶ聲のすごき夕暮(西行)
   みんな独りじゃ寂しいさ。
 うけひかぬあまのを舟の綱手縄絶ゆとてなにか苦しかるらむ(肥後)
   かってにすればいいじゃないか、俺はいっこうにかまわぬ。
 ふるさとの花の盛りは過ぎぬれどおもかげ去らぬ春の空かな(源經信)
   俺たちがまだ美しい花だった少年時代のことが思い出される。
 紅の千入のまふり山の端に日の入る時の空にぞありける(源實朝)
   ほとばしる赤い血潮、死の予感。