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西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

つれづれに (検診に行った)

2014年10月01日 | 医療の仕事
九州大学病院の構内にあった史跡 と 近くの東公園にある史跡
 
九州大学病院に大腸ファイバー検査のために行った・・・・・大学病院というのはとにかく外来患者がめちゃ多いところで待ち時間ははんぱでなく1日がかりだ。退屈まぎれに広い構内の庭を歩き回ってみたら医療とは関係のない史跡があったので写真に撮った。
(1)現在テレビドラマになっている福岡藩祖の黒田官兵衛にまつわる史跡があって「利休釜掛の松・・・・・天正15年(1587)、九州平定を終え箱崎宮に滞陣した豊臣秀吉は、小寺休夢(福岡藩の藩祖黒田如水の叔父)らと和歌を詠じ、茶人の千利休や博多の豪商 神屋宗湛らと茶会を催しました。その際、利休は秀吉の命により、この地の松に鎖を吊して雲龍の小釜をかけ、白砂の上に散り敷いた松葉を集めて湯をわかしたと伝えられています。」・・・・・との説明。絵の右から2番目がどうも秀吉らしい
 
  
(2)もうひとつは歌人の碑 「長塚 節の逝去の地・・・・・長塚節(1879~1915年)は、正岡子規に歌の指導を受けたアララギ派の歌人であり、子規の没後、短歌雑誌”アララギ”の創刊に携わりました。また、作家としても小説”土”を執筆し、農民文学の確立に大きく貢献しました。明治45年(1912)、喉頭結核を患い、高浜虚子門下の俳人でもある九州大学病院の久保猪之吉博士のもとで治療を続けましたが、大正4年(1915)、その甲斐もなく37歳で亡くなりました。」・・・・・とありました。碑には写真も入れてありました 
   
(3)九大病院の最寄りのJR駅吉塚には東公園があって通り道だったので覗いてみた。 
東公園の一角に日蓮聖人の大きな銅像が立っている(約23mの立像で明治37年に17年の歳月を費やして建立されたそうです)、同じ公園内に元寇資料館というのもあった。私が小学6年生の頃に香椎に住んでいたことがあってその頃の東公園で銅像をみたけれどただ台座にポンと立っていただけの印象で周辺はほんとに公園然としていたと思う・・・・・ウン十年振りに見たら立派な場所になっていてびっくり。近くには元寇当時の亀山上皇の銅像もあって次回写真に撮る予定ですが、用がなければ来ないところだからなあ・・・・・元寇資料館はかなりマニアックな展示場ではないかなあ、でも来館者が少ないのか電話で前もって告げないと開けてくれないような展示館になっていました。残念、受付の人に資料パンフレットだけもらったのでした。元寇の時の蒙古軍の鎧、兜、弓などが置いてあるそうです・・・・・まさにこの場所が戦場だったらしいです。 元寇~日蓮~亀山上皇か・・・・・戦国時代や幕末に興味が行ってしまうのでちょっと知識としては弱いところ、ひまになったら調べてみようかな 
 
(4)九大病院正門から50m離れたところに崇福禅寺というお寺があった。そこの表門はもともと福岡城の大手門で 移築されたものとのことで、境内には今年話題のNHK大河ドラマ「 軍師黒田官兵衛 」 (黒田孝高)とその子 黒田長政の墓があるんだそうです。今回は通りから門だけを見学しましたが、近くに宮崎からの観光バスが停まっていてガイドさんに連れられて観光客がゾロゾロは入って行きました。受付の人に聞くとドラマのせいで今年は見物客が多いです・・・・・とのこと。 なるほど、門はお寺のというよりはより武骨な武家門という風情でした。 官兵衛の墓には後日行ってみよう

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