西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

初期の頃のレイ・プライス Part 1

2013年06月17日 | 懐かしのカントリースター
 Ray Price (4)
米国盤 Rounder Records SS-22 Ray Price The Honky-Tonk Years 1951-1953
(1)Who Stole That Train? (2)The Way You've Treated Me (3)Slowly Dying (4)Move On In And Stay (5)The Wrong Side Of Town (6)The Road Of No Return (7)I Made A Mistake (8)I'll Be There (9)Tou Never Will Be True (10)Wasted Words (11)I Don't Want This On My Consciens (12)I Can't Go Home Like This (13)Cold Shoulder (14)Fallin', Fallin', Fallin'

レイ・プライスのLPレコードを500円で買いました、中古屋さんでしたが新品です。CDの時代で売れないんでしょうか。レイ・プライスの非常に初期の頃の曲集で荒削りですが純粋の Honky Tonk Style です。
ラウンダーレコード社がアメリカ Columbia Records の原盤を借りる形で出した Special Series ものです。 原盤を借りて出すという意味では後年のドイツの Bear Family Records 社あたりの先駆け、指針になったのではないでしょうか(?)。 Charles Wolfe という人が載っている1曲1曲の経緯まで書いたりしたかなりマニアックといえる詳しい解説がついています、レイ・プライスの初期の状況が解かりますので頭の体操のつもりで省略せずに3回に分けて訳して載せてみます(私なりの補足を少々入れました)。

「 レイ・プライスがダラス(テキサス州)を去ってグランド・オール・オープリーに加わるためにナッシュヴィル(テネシー州)にやってきたのは1952(昭和27)年1月でした。彼はほとんどハンク・ウィリアムスの被保護者みたいなものでした。ハンクの死後にハンクから学んだとか影響を受けたと主張する多くの歌手達と違って レイ・プライスは直にハンクサウンドを吸収した純粋の弟子でした。

ハンクがレイ・プライスに会ったのは1951(昭和26)年の秋です、ハンクは高く澄み切ったレイのテナーボイスを聴いて気に入り、自分の演奏ツアーに参加するように招待したのでした。数ヶ月間 演奏経験の機会を与え、出演、契約、さらには ”Weary Blues From Waiting ” のようないい歌さえ提供してやり、オープリーの支配人 Jim Denny が渋るのを説得してオープリーでの自分の出演ワクにレギュラーとして迎え入れたのでした。さらには短期間ではありましたが二人は宿舎を共にしたことさえあるのです。

1952(昭和27)年暮れになってハンクの個人的問題(オードリーとの不和に起因する諸問題か?)が悪化するにつれて ハンクが出られない時の代役を務めてバンドの前に立って歌うのはレイ・プライスだったのです。 聴衆の心を捕らえたレイの最初のレコードがハンク譲りのクラシックホンキートンクスタイルであって、レイ自身がさらに磨きをかけて作り上げた classic country music あったことは疑う余地のない事実です。

The Ray Price スタイルはさかのぼること1948(昭和23)年に始まっており、まだ彼が北テキサス州立農業大学で獣医学を学ぶ学生だった時代に、余暇にバンドを組んでアビリーンの KRBC 局の ”Hillbilly Circus ”という番組で歌い始めた頃になります。すぐにダラスに移ったのですが、そこは1940年代当時はナッシュヴィルよりもレコード産業の中心地だったところです。レイは Ross Avenue にある Jim Beck のスタジオに出入りするようになったのですが、そこは伝説ともなっているスタジオで、マーティ・ロビンスやレフティ・フリッツェル、シド・キング等の有名歌手を輩出したところでもありました。
Jim Beck や彼の作曲家達のためにデモレコードを作ったりすると同時に、新しいもの、タフな内容のもの、誠実な内容のもの、現実的なものといった " honky-tonk " と呼ばれるようになった歌の数々を直に学ぶ機会も得たのでした。

不成功に終わった Bullet レコードからのデビューと ” Big D Jamboree ”への出演のあとレイ・プライスは1951(昭和26)年3月に Columbia レコード社と契約を交わしました。 Columbia レコード社の契約書には”Sings and plays guitar ” と書かれていましたが、やがて驚異的なヒット曲を出すことになるにしては控えめな表現です。

ダラスからナッシュヴィルに移った1951(昭和26)年終わりまでにレイは4枚のレコードを出しました、いづれも Jim Beck のスタジオで録音されたもので、Shorty Long の ”I Made a Mistake(And I'm Sorry )” を歌ったバージョンが含まれています。バックの演奏陣は Beck スタジオのミュージシャンで 有名な2人のフィドラー(カントリースタイルのバイオリン)Georgia Slim とGeorge Custer 、ギターには Buddy Griffin、リードギターには Lefty Frizzell のセッションで光彩をはなった Jimmy Rollin がつとめたのでした。  どれもヒットするには至らなかったのですが、レイ・プライスは Columbia レコードでの次のレコーディングセッションが組まれるまでナッシュヴィルでハンク・ウィリアムスの許に居候することになったのでした。」・・・・・・以下次回に続く


<私のひとこと>
ジャケット写真が1940~50年代を思わせますし、どことなくハンク・ウィリアムス的雰囲気がありますね。
以前「レイ・プライス ハンク・ウィリアムスを歌う」というLPレコードについても載せていますので参考に見て下さいね

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