前々会長の時に、私は会長の補佐役をしたことを前回書きました。本来副会長という役職でしたが、私の父の「外の団体の長になってはいけない」との教訓(副会長でも長が付く)が心に残っていて、“書記”という肩書を無理に作ってもらって就任した経緯があります。
平成8年3月に江戸川鉄栄会の創立30周年記念式典を、浦安のホテルで挙行しました。企画準備から始まって当日の運営まで、多くの時間を費やして貴重な経験を致しました。その翌4月に前々会長は、先述の問題も発生していて、前会長の纐纈氏に代わりました。
そこで私は書記であった役員を辞任して、以来10年は江戸川鉄栄会とは距離を置くこととなります。この10年間は、会員会社の社長の世代交代や廃業による退会も続き、僅かではありましたが新規入会もあった頃で、鉄栄会自体も変化していた時代でした。
そして8年前です。私に会長の声が掛かるとは思ってもみませんでした。前会長と副会長が何回か私のもとへ来られ、懇願されました。ある方にこの会長職を受けてよいものかと悩みを打ち明けたところ、そこまで頼まれ拒むのは義に反するのではと言われ、腑に落ちるものがあり、お引き受け致しました。
東鉄連の傘下には、江戸川鉄栄会の様な地区団体が九つあり、その会長は東鉄連の常任理事長となり会の運営に関わります。地区や規模や扱い品種が違っていても、同じ鉄鋼流通業界の経営者同士であり、広く業界を知る上でも大変得るものがありました。
東鉄連を運営して行く上でも、他の理事からは、物の考え方や感じ方では学ぶものが多くありました。またそこでの出逢いも私の無形の財産となりました。先代の教訓は破ってしまう結果となりましたが、破ってこそ学ぶものがあることも体験しました。
「本来修めることをしっかりやれ。他もやるなら何事も手を抜かずに真剣にやれ」。先代のさとしを、そのように今では解釈をしています。
私自身の江戸川鉄栄会での会長職も、もそろそろ世代交代する時期となって来ました。何年か前から役員にはその意向を伝えていますが、私の持って行き方も悪かったのか、後任者は未だ明確にはなっていません。
前会長の気持ちが良く分かります。立場が変わって、今分かることがあります。
(先週の江戸川鉄栄会新年会にお呼びした、ものまねタレントKUMAさん)
平成8年3月に江戸川鉄栄会の創立30周年記念式典を、浦安のホテルで挙行しました。企画準備から始まって当日の運営まで、多くの時間を費やして貴重な経験を致しました。その翌4月に前々会長は、先述の問題も発生していて、前会長の纐纈氏に代わりました。
そこで私は書記であった役員を辞任して、以来10年は江戸川鉄栄会とは距離を置くこととなります。この10年間は、会員会社の社長の世代交代や廃業による退会も続き、僅かではありましたが新規入会もあった頃で、鉄栄会自体も変化していた時代でした。
そして8年前です。私に会長の声が掛かるとは思ってもみませんでした。前会長と副会長が何回か私のもとへ来られ、懇願されました。ある方にこの会長職を受けてよいものかと悩みを打ち明けたところ、そこまで頼まれ拒むのは義に反するのではと言われ、腑に落ちるものがあり、お引き受け致しました。
東鉄連の傘下には、江戸川鉄栄会の様な地区団体が九つあり、その会長は東鉄連の常任理事長となり会の運営に関わります。地区や規模や扱い品種が違っていても、同じ鉄鋼流通業界の経営者同士であり、広く業界を知る上でも大変得るものがありました。
東鉄連を運営して行く上でも、他の理事からは、物の考え方や感じ方では学ぶものが多くありました。またそこでの出逢いも私の無形の財産となりました。先代の教訓は破ってしまう結果となりましたが、破ってこそ学ぶものがあることも体験しました。
「本来修めることをしっかりやれ。他もやるなら何事も手を抜かずに真剣にやれ」。先代のさとしを、そのように今では解釈をしています。
私自身の江戸川鉄栄会での会長職も、もそろそろ世代交代する時期となって来ました。何年か前から役員にはその意向を伝えていますが、私の持って行き方も悪かったのか、後任者は未だ明確にはなっていません。
前会長の気持ちが良く分かります。立場が変わって、今分かることがあります。
(先週の江戸川鉄栄会新年会にお呼びした、ものまねタレントKUMAさん)
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