梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

道なき道(その1)

2020年06月27日 06時35分51秒 | Weblog
今から48年前の話しです。それは死と直面した体験でもありました。私達5人は東海道本線(当時は国鉄)の金谷駅で降り、大井川鉄道に乗り換えました。大井川鉄道は、森林資源を輸送する昔の鉄道の面影を残す65kmにおよぶ路線です。大井川本線から井川線に乗り継いで、終点の井川駅まで行きます。

その井川駅から、地元に予約してあったバン車に乗り込み、険しい山中の林道を一時間半程揺られ、荒涼とした風景の椹島(さわらじま)という所で降ろされました。そこからは全て徒歩。南アルプスの沢を遡行する三泊四日の登山の始まりです。

私が大学二年の時で、所属していたワンダーフォーゲル部の夏のプランです。参加メンバーは、三年生が3人と私と同学年がもう1人と、計5人でした。大井川の支流のひとつである奥西河内という沢を登り詰めて、荒川三山(南アルプスの中央部に在る山)の一角を目指す沢登のプランでした。

沢は登山道のような定まった道はありません。左岸を行くか右岸を行くか、渡渉しながら自分達でルートを見つけて登って行きます。片側の岸だけを行くと、深い澱みとなったり急な斜面となったり、そのような場合は少し戻り草木が生えている場所で高巻くか、それでもだめなら引き返し浅瀬で渡り直すか、バリエーションは尽きません。それだけに、沢登りは醍醐味があります。

大学が夏休みに入ると直ぐに合宿があり、その後この夏のプラン(フリープランと称す)があります。夏合宿は、1年から4年までの編制で何パーティーにも分かれて山行する、部員全員参加のオフィシャルな行事です。夏プランは、3年がリーダーとなり独自なプランニングをして、参加者を募る山行です。そのような夏が終わり秋になると、2年生はリーダー資格養成の時期を迎えます。

年間で出されるフリープランは一般的な登山の他に、雪山や山スキーや沢登りがあり、里山を散策するプランまでありました。私は沢登りに惹かれ、3年生で自分のプランを持ってみたい思いもあり、このプランはハードで体力や技量など自信はありませんでしたが、挑戦してみようと決意しました。

最初のアクシデントは、奥西河内に入って二日目でした。初日は椹島までが昼頃で、奥西河内を遡行して3時間ほどして、適当なテントサイトが見つかったのでそこで野営しました。二日目、本来ならサブ・リーダークラスの三年生が先頭に立ってルートを探して行くのですが、訓練の意味合いもあり私がトップとなりました。左岸から右岸へちょうど滝の上の個所を渡渉したところ、ズボッと足が深みに入り、思ったより水量が多く足をすくわれてしまいました。

その後どうなったかの話しの前に、沢登の装備についてふれます。所謂登山靴は履きません。底がフェルト地の上はゴム製の言わば地下足(親指と人差し指の間に切れ目がある)です。沢を詰めて稜線に出てから履きますので、登山靴も持っていきます。

沢登用はアタック・ザックです。当時の一般の登山はキスリング・ザックが主流でした。キスリングは両脇に本体より小さめのタッシュ(ポケット)があり量は入りますが、岩場をへつる時や道が無い木々の中では、タッシュが邪魔になってしまうのです。

さて、足をすくわれてしまって私はどうなったか。見事に滝つぼに落ちました。滝の高さは5~6mはあったと思います。相応の荷物を背負っていましたので、その重さもあり、滝つぼに落ちて沈んでいきます。目の前が滝の泡で真っ白です。

私は泳げません。自慢ではありませんが、今でも泳げません。その時脳裏に浮かんだのは、「このまま溺れて死ぬのかもしれない」です。そのプランのリーダーに申し訳ないことをしてしまった。「○○大学ワンダーフォーゲル部、南アルプスの沢登りで遭難!」。何故か、そんな新聞記事までもが頭をよぎりました。  ~次回に続く~

トーマス号が走る大井川鉄道

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