梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

社長交代(その1)

2019年09月14日 10時25分12秒 | Weblog
わが社と取引がある関係先の皆様には既に挨拶状をお送りしていますが、9月2日を以って私は社長職を後任に譲り、会長となりました。新しく社長に就任しましたのは、役員で会社を統括してきた実質ナンバーツーの社員です。

新社長と私で9月2日から、金融機関や主だった仕入先の鉄鋼メーカーや商社へ挨拶に伺ってきました。訪問先の皆様の反応ですが、一様に驚いておられました。わが社には二年前に入社した息子(26歳)がいます。私が10~15年は続投して、息子へ直接バトンタッチするものと想定していたようです。私に健康上の問題があっての交代ではないかと、懸念されるところもありました。

社長交代は、私の中では誰に絞り込むかは別として、5~6年前から考えていました。前回のブログでも書きましたが、私は先代(父親)の急逝によって、37歳で社長を引き継ぎます。がむしゃらに突っ走ってきた感がありますが、今年でほぼ30年が経過しました。30年が一つの社長業の区切りと考えていました。

社長の最後で最大の仕事は、社長職の後継者へのバトンタッチであると思います。人の命は限りありますが、企業は永遠でなくてはなりません。そうであれば当然のこと、社長の交代がスムーズに行なわれなければ、企業の継続・存続はありません。

30年前、先代経営者の息子つまり私が会社にいたので、未熟ながら急遽社長を引き継ぐことも可能でした。私がいなくても、社員で引き継ぐ者がいれば会社は存続します。いずれもいなければ、梶哲商店は倒産や廃業の道をたどったのかもしれません。

自身の体験から、後継者へのバトンタッチが、社長の重要な仕事だと私は考えるようになりました。有り難くも、私は今特に健康上の問題は抱えていません。バトンタッチは気力・体力がある内にとも考えてきました。このようなことが、この度の社長交代の経緯となります。

後継の新社長は、27歳の時にわが社に入社して24年が過ぎました。営業一筋の道を歩み、わが社では誰よりも勤続年数が長くなりました。わが社のこの30年間は決して平坦な道のりではありませんでしたので、私と苦楽を共に戦った同志ともいえます。

共に代表権を持っての交代ですが、最終決定権は誰にあるかとなれば、社長にあります。会長になっても社長と同じ権限を持っていれば、社長を交代して、私が会長になった意味はありません。私は、会長の役割である会社の相談役になろうと思います。

その会長と社長の権限の話しを挨拶先でしますと、会長職に退いた形でも社長の仕事をしている会社が、実際多いとの声が聞かれました。そのような会長は無意識の内にそれを行なっているとのことです。会長職の私はそれを肝に銘じなくてはなりません。

権限を譲る上で、逆に形が大事だと思い実行することがありました。私の従来の会社での居場所や出社時間についても、挨拶を終え、暫くゆっくりしてから変えようとしていましたが、9月の第一週のうちに早々に変えました。

わが社には社長室兼応接間があります。当然ここが長年私の居場所でした。直ぐ隣には、営業・業務・経理総務の社員が居る、大きな部屋があります。社長室のドアを開けておけば、そこからの声は大方聞こえますので、電話の鳴り具合や訪問者の気配は分かります。この社長室を新社長へ明け渡し、私は別の部屋に移動しました。

社長の時の私の出社時間は、朝8時から夕方5時まででした。会長となっても毎日は出社しますが、午前10時から午後4時までとしました。これも暫定とします。それらに伴って、私の生活のリズムが一気に変化してきました。  ~次回に続く~
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