梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

一年後この世に…(その3)

2021年08月07日 03時47分03秒 | Weblog
最近私の身近でがんに罹り手術をした人がいたり、私自身食道のポリープが見つかったり、そのような事が続き、医者が書いたがんに関する本を読んだ話しをしました。国立がん研究センターで、がんに罹患した人とその家族の診療を行ってきた医師が著した、『もしも一年後、この世にいないとしたら』とのタイトルの本を紹介させてもらいました。

著者の清水研氏は、がんとこころに関する専門医でこの仕事に就いて20年、今まで3500人以上のがん患者と向き合ってきました。その体験を通し、人が「死」を恐れるのは何故か? その三つの理由を挙げ、それらは対処の仕方があり、死を意識して初めて生きることの深さに気づき、期限がある命を自分らしく生きる手掛かりもあると、氏は明言します。先ずは、以下人が死を恐れる理由に関してです。    

1.死に至るまでの過程に対する恐怖(最後はどんなふうに苦しむのだろう・がんによる痛みはつらいのだろうか)。2.自分がいなくなることによって生じる現実的な問題(子供が小さいので将来のことが心配・高齢の両親が悲しみその世話はどうするのか・今取り組んでいるライフワークが未完)。3.自分が消滅するという恐怖(死後の世界は?自分が消滅するってどういうこと?)。この三つがその理由だと言います。

1.についていえば、多くの患者がこの肉体的苦痛への懸念だが、鎮痛剤を適切に使う緩和医療が進み、がんとの闘病は昔ほど壮絶なものではなくなっている。近年は緩和ケアの正しい知識も広がり、介護医療サービス(自宅で過ごすなど)も充実してきた。病棟でも患者と家族が和やかに談話する姿が多く見られ、重苦しくなくなってきている。死に至るまでの苦しみの対策はあると、氏は説明します。

2.については、ずっと気になっていたことなど人生の課題に向き合うことになるが、心に刺さっていた棘を抜くように、先送りしていた問題を解決するチャンスにもなる。3.については、死後の世界の在る無しは別に、その人の生きた証は確かであり、誰かに命をつなぐ役割を果たしたと思えば、死後のことを心配しなくてもいい。氏の主張は、「人生には期限があり、自分もいつ病気になるかわからない。その考えは等身大の人間の認識であり、死を意識しない世界はどこかで破綻する(死が間近になった時役立たない)」です。

次に、期限がある命を自分らしく生きる手掛かりです。死を意識するだけでは、その生き方はわからない。その手掛かりは、「must(すべき)」から「want(したい)」である。「must」に縛られ息が詰まっている自分自ら、主従関係を逆転させ「want」の声を聴くこと。がんを体験した人が、自らの「want」について考え抜いた後の言葉や生き方には、大いなるヒントがあったと氏は強調します。このようなことが、読んだ本の内容でした。

私に置き換えてみても、「want」を押し込めて、「must」に従ってしまう自分があります。それは小さい頃からの親や学校の教育や、社会に出てから一般に容認されている規範や価値観によるものなのかもしれません。しかし『もしも一年後、この世にいないとしたら』と想定したら、「must」に抗い「want」に切り替えるでしょう。些細な事ですが食事をちょっと贅沢にしたり、義理で出かける会合を休んで観たい映画に行ったり、その気があれば生き方は変えられます。

私が一年後に、この世に存在しないとまでいかなくとも、もし自分が病床に伏していると仮定したら。伏している自分が今の自分を振り返る際に、これからの一年の生き方によっては、今の自分をうらやみ、あれもしておけばよかった、これもしておけばよかったと後悔する可能性があります。だからこそ、今日一日をこのように過ごせることは当たり前ではなく、ここにある自分を縛ることなく、大切に生きようとなる。そう考えるようになりました。

今回がんで余命を告げられたわけではありませんが、かなり踏み入ったことを書いてしまったと思います。親しい人から、「手術をしなくて大丈夫ですか」との声が聞こえそうです。医療に対する不信とか手術の意義を疑うとか、そのような事を主張したわけではなく、誰しもに訪れる死に対して、先で後悔しないための、今を大事に生きる私の覚悟と解釈して下されば幸いです。
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