梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

才能の正体(その1)

2021年08月14日 03時43分24秒 | Weblog
東京オリンピックが閉幕しました。コロナウイルスの影響で一年延期され、さらに大半の競技が無観客の大会となりました。一年延期されてもなお直前まで、感染が収まらず開催が危ぶまれ、まさに非常事態のオリンピックとなりました。最後まで開幕の賛否はあったものの、選手の立場を考えたならば、私は開催されてよかったと思っています。

前回のリオデジャネイロのオリンピックは、28競技・306種目、今回の東京のオリンピックは、33競技・339種目が行われました。ジェンダー平等の観点から、水泳、陸上、卓球、柔道などで男女混合リレーや団体戦が今回加わり、また新たに採用されたスケートボード、サーフィン、スポーツクライミングなどもあり、なによりも若い日本選手の活躍が目立ちました。

テレビ観戦で惹きつけられたのは、フェンシングの男子エペ団体の決勝戦です。他の競技も見比べながらチャンネルを回していたら、ちょうどその場面が始まりました。初戦アメリカ戦では8点差をつけられるも逆転し、続く準々決勝では強敵フランスに接戦のすえ勝利して、準決勝で韓国を制し迎えた決勝でした(解説で知りました)。選手たちは一丸となり強豪ROCを圧倒し優勝して、日本フェンシング史上初の金を獲得しました。

その一人、山田優選手について書かれた記事を読みました。「小さい頃両親が離婚。姉と二人、母親は女手一つで育てる。幼稚園の頃小児喘息で、一ヵ月に一回は具合が悪くなり、まともに運動することもかないませんでした。それでも母親は、スイミング、柔道とできそうな競技を探したが、全て断られた。辿り着いたのが小学二年、近くのフェンシング道場。初めは特にずば抜けたものがあったわけではないが、高校になって頭角を現し、その後日大へ入学、世界ジュニアのエペ個人で日本人初の優勝を果たした」。そのようなことが書かれていました。

観戦はできませんでしたが、レスリング男子グレコローマンスタイル77㌔級で銅メダルをとった、屋比久翔平選手のこのような記事もありました。「父は同じくグレコで全日本選手権を2度制覇し、バルセロナ五輪を目指していたが、最終選考会で靭帯を痛める大怪我をして、再起を断念。そして男の子が生まれたら夢を託そうと決めた。翔平は3歳から父が監督を務める高校のレスリング部のマットで遊んだ。小4から本格的に競技を始めたが、緊張したり悔しかったりすると、いつも泣きべそをかいていた。高校からようやく力量を発揮し、グレコの名門日体大へ。今年4月五輪アジア予選で五輪切符をつかんだ」。このような内容でした。 

同じく五輪でメダルをとった二人ですが、屋比久選手は生まれた瞬間にレスリングの道が敷かれていましたが、山田選手は初めからフェンシングの道が開かれていたのではありません。人は簡単に、屋比久選手は親のDNAが影響してるからだとか、山田選手には才能がもともとあったのだとか、言ってしまいます。そして多くの人は、自分にはそんな才能はないから、無理だと決めつけてしまいます。

才能を発揮できる選手で、注目すべくは、必ず身近に伴走者(協力者)が存在していることです。それは、親でもありコーチでもあります。選手の歩みだけではなく、親子にしても師弟関係にしても、その「想いは」少なくとも二代に亘っています。更に大事なのは継続したことです。山田選手は、お姉さんもフェンシングをやっていて、大会の遠征とかお金が掛かるので、仕事の掛け持ちをしていたお母さんのために、自分はやめ働こうと思った時があったと自ら語っています。「私の生きがいを奪わないで」と、お母さんに言われて留まったそうです。そこでやめていたら、今の山田選手はありません。

「人間の才能とはいったい、何なのか?」「才能とは、どう見つけて、どう伸ばしていけばいいのか?」。今回のオリンピックを観戦していて、メダルをとった選手の生い立ちをみてみると、やはりと思いあたることがあります。少し前に読んだ本が、どうしても重なりました。

「才能は、誰にでもある。みんな、その才能をどう見つけたらいいのか、どう伸ばせばいいのか、わからないだけなのです。自分の才能も、我が子や、教え子や、部下や、後輩の才能も。そればかりか、多くの人たちは、その才能を潰してしまうことばかりしている・・・。そのことに気づくべきなのです」。そういっている方の、本です。   ~次回に続く~
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