銚子・角巳之・三代目

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古民家...①

2023年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム

古民家ブームだそうです。古きものに価値を見出し新たな価値を見出すこと、個人的にたいへん
素晴らしいことと思っております。個人的に何故か落ち着く空間であり、何をするでもなく、
その場に赴きボーっとしていること、この上ない至福の時間であります...。

田舎にいると都市に憧れ、都市生活が長くなると田舎が恋しくなるもののようです。すでに垣根
なく、そもそも都市と田舎という2つの対象を対比することも前時代的な感覚かもしれません。
“古くて新しい” “伝統かつ革新”...。両者をひっくるめて日本の伝統・文化であります...。

かつて某スポーツチームのプロコーチから、エースの条件というお話をお聞きしました...。
エース、中心選手とか大黒柱の意味ですが、答えは“試合に出続ける選手であること”...と。
意外な答えでしたが、その背景をお聞きし納得した。そんな経験があります。

チーム内外からエースと目される選手...。選手なら怪我もするし不調にもなる...。ただしエース
は出続ける選手...。怪我しない(しても回復早い)、好不調の波が少ない。そこにいるだけで
相手には威圧感、仲間には安心感を与える...。何故か古民家と同じに思えて...(続きは次回に)

愛宕神社(笠間市)②

2023年12月15日 | 日記・エッセイ・コラム

本日12月15日...。創業しました会社(地域商社)もお陰様で14年目。それこそ悪態
(何をしているのかサッパリ分からない等々)つかれながら今も生き残っております...。
会社も人と同じ、昨日はすでに歴史。明日は分からないけれど、今日も贈り物頂いてます。

ちょっと前まで、12月15日は節目と思いカテゴリーを分けて掲載しておりましたが、
今年から日常の延長としてサラッと通り過ぎることに致します。贈り物頂いてますとは
今日という日が迎えられておりますということ。関係各位に心より感謝申し上げます。

さて愛宕神社のこと...。創建は1,200年以上前と言う非常に歴史あり、ここもやはり
天狗様...。天狗様に因んだ祠あり、笠間のお隣は県庁所在地の水戸市。幕末維新の頃、
その魁(さきがけ)となったのは水戸天狗党...。きっと何か繋がりあるのだろうと思います。

神社の方が親切で、この裏にパワースポットあるよ...と教えてくれました。何でも海底が
隆起して地表に突き出てきた一角、その波動がパワーをもたらす...と。何か吸い寄せられる
ように立ち寄った愛宕神社。生きているものは前を向け。そう言われているようでした...。

愛宕神社(笠間市)①

2023年12月14日 | 日記・エッセイ・コラム

いつも行き慣れた茨城方面の道...。不思議なことに、慣れた道で迷いまして着いたところが
愛宕神社(笠間市)。火の神様とのことでした。天狗の碑あり(山岳信仰・修験者かと)、
パワースポットあり、さらには妙な“のぼり”あり...。“悪態まつり” 何だこれは....。

悪態まつりとは、12月の第三日曜(ということは今週末)に開催される、非常に歴史ある
お祭りなのだそうです。天狗様が地域の祠にお供え物をして歩き、その姿に参詣者が罵声
を浴びせ続ける...(バカヤロー、コノヤロー、早く歩け...等々)日本三大奇祭の一つだと。

モノの本などを読むと、日本三大奇祭には秋田の“なまはげ”や、先日TV等で話題になって
いた岩手の蘇民祭(担い手不足で核となる儀式が行えず、儀式を変えてまで行うのは祭りの
本質にそぐわないと1,000年の歴史に幕)などが書かれておりましたが...。

笠間氏のHPなど拝見すると、確かに日本三大奇祭...と。この際、三大〇〇であるか否かは
別にして、天狗様に罵声を浴びせ続ける...これは奇祭以外の何物でもなく。そう言えば、
亡くなった友人も口が悪かったな~と。引き寄せられた感じです(続きは次回に)


今日は...贈り物。

2023年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム

友人が亡くなりました...。いきなりこのような表現で申し訳ありません。儚さ、喪失感、悲しみ
一通りの感情が通り過ぎ、今思っていること。私は友人が生きたかった明日(今)生きている...。
本当に気持ちの良い友人で、故にいつまでも悲しまず、ご冥福を祈りながら前を向く...。

そんな折、ふと目に留めた雑誌にこうありました。昨日は過ぎたこと(もう歴史の一部)、
明日はミステリー(どうなるか分からない)、そして...、今日を迎えられたのはラッキーな
“贈り物”だから、“今”のことをプレゼント(present:英語で“今”を表す)という...。

生きているというより、生かされている。この言葉もかつて(20代~30代)は胡散臭い
と感じておりましたが、今は全く逆。まさにその通りと思ってます。やがて私にもその時が
来るでしょうが、終わることよりも、まだ終わっていない“今”、できることを精一杯...と。

何故か車に乗って、あてもなく...。気が付いたら茨城県の笠間市におりました。10月頃に
訪問した笠間稲荷方面ではなく、いつもは通らない愛宕神社方面におりました...。この話題
は明日以降に。今日は...贈り物。本日はこのことだけを心に留めることに致します。



森と杜(神宮外苑にて)③

2023年12月12日 | 日記・エッセイ・コラム

森は自然に出来たもの...。杜は人の手で...。人の手が入るということは、そこに杜を作ろう
とした人の意思がある訳です。木はすぐには大きくなりませんので、それを初めに植えた
人は、木の成長・50年、100先の未来を見ていたはず...。何らかの願いを込めて...。

やがてコンクリートが乱立する都市が出来ることを当時、想起していたか否かは分かりま
せんが、そこに杜があることの意味を...。都市が発展から成熟に向かう時、新しいものより
古いもの(人の意思によって継承されてきた事)に価値基準が移っていくような気がします。

昨今起こっている問題の特徴は、自らが生きている範囲で答えが出ない。ということだそう
です(同感です)。植樹のように時間が掛かるものは、まず始めなければいつまでたっても
杜は出来ませんし、植えた後は適切に手入れをしながら見守り続けなければならない...。

先人たちがそうやって築いてきたものについて、尊崇の念があるならば尚更、簡単に答えが
出る話ではありません。“合意形成” 私の周囲で最近良く聞こえて参りますが、これに参加
するのは、今生きている人だけでなく、先人たち、そしてまだ見ぬ誰か...であります。





森と杜(神宮外苑にて)②

2023年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム

この話題、同じ風景を添付致します(ほぼ同じ場所、時間だけ少しズレがあります)...さて、
開発者にも反対者にも大義がある。大義と大義の対立ですので、誰もが納得する形で決着する
ということは...まずありません。この問題は人間の生き方そのものに直結しているようです。

予定通り開発を進めるにしても、中止するにしても、何らかの妥結点が見つかってそのような
形で進めるにしても、時間の経過とともにその形は見えて来ると思います。ここでは開発の
是非ではなくて、この場...。都会のど真ん中にある森(杜)ということについて。

一般的に言って、人間が介在せず自然のまま生い茂った樹木の集合体を森というそうです。
他方、人間が何らかの意図によって造成したものを杜...と。仙台は杜の都と言いますが、この
杜と言う、たった漢字一文字の裏側に見える、その時々を生きた人々の想いに心致すか否か...。

“今”が大切なので、今の最適でことを決するという意見が是であるならば、その“今”は過去から
の連続であり、先人の遺産に浴したならば、それを未来に残すべきこれも是。折しも100周年
大会であったラグビー...、伝統、繋ぐ、託す...という言葉を多々耳にして(続きは次回に)

森と杜(神宮外苑にて)①

2023年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム

スポーツ観戦(今回はラグビーでしたが)は、その競技を球場や体育館に行って観る...だけ
でなく、何か月も前から楽しみにして(ワクワク感)、実際に見て(臨場感、迫力)さらには
終了後にその余韻に浸る...。余韻は人それぞれ、活力・勇気が湧いてきたり、心が洗われたり...。

ヨットが趣味の知人がいて、ヨットに乗ることそのものが好きなのは当然であるが、やはり事前
のワクワク感、海に乗り出す爽快感、そしてその後の余韻...。全く一緒のことを言ってました。
私の場合、野球、ラグビー観戦の後は神宮外苑の散策...。これは非常に心地良い時間です...。

有名なイチョウ並木を歩きました。これだけの人を見たのは今夏、銚子の花火大会以来です...。
新宿、青山と言った大都会のど真ん中にある神宮外苑。どんどん進化する大都会の中、この場
があることで地域全体の調和が保たれ、人の心にも潤いが生まれているのだろうと思います。

この界隈、大規模な再開発が予定されており大きな反対運動が起こっていることTV等で知り
ました。開発には樹木の伐採が伴い、樹齢100年にもなりなんとする木々を伐採して良い
ものか?いや、開発優先だ...。このことについて少し続けます...。

学生スポーツ⑤

2023年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム

本日の写真、おまけ。もう学生席で一緒に騒ぐような歳ではないので、静かな場所で観戦
しようとチケットお願いしたら、何とお弁当付きの席でした...。年齢層高めが集うラウンジ
で、見ず知らずの方と一緒に他愛のない話をして...。これまた観戦の面白さか...と。

OBの集まりか?とも思いましたが案外そうでもなく、純粋にスポーツ(今回はラグビー)
が好きという方多いですし、今回のような“伝統の”一戦となると、長年の巨人、阪神ファン
学生スポーツであっても、そういうご贔屓(マニアとも)多数おられるようです。

大学スポーツに限らず中学でも高校でもスポーツ部の活躍は校内全体に良い影響を与える
でしょうが、それがために“聖域化”し、昔と今では感覚がちょっとズレてきてしまっている
ことも事実かと思います。然れども選手たちはただ純粋にスポーツに打ち込んでいる...だけ。

渾身の力を込める姿は美しい...。力は使えば使うほど湧き上がる...。まさに昭和のスポ根の
見解(私)ですが、学生スポーツに関する様々な報道に接し私見。今しかできないことを
ただ純粋に“今”懸命に行っている選手たちのこと最優先で...。若さと言うものは尊いです...。

学生スポーツ④

2023年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム

社会人となってからこの方30年...。自ら顧みて、その時々にちょっと(かなり)しんどい時や
苦しい時もあったかと記憶しております。そんな良くない記憶も時間の経過とともに薄れたり、
今となっては笑い話...そう変化しております。過剰な反応をしなくなった、あるいは鈍感に...。

過剰反応しない。鈍感...、最近こういう感覚大事だな~と。多くの場合は、時間が解決すると
思っておりますが、その時々(しかも若い時)目の前の難儀にどう対処していたか?と言えば
勝手に運動部時代のこと思い出したり、頭の中で記憶を美化したりしてました...。

国立の舞台に立っている選手たちを前にしては、甚だおこがましいことながらスポーツの力は
そのレベルによらず、行ってきた個人の記憶の中でやがて心の拠り所とかもうひと頑張りする
ための原動力になったりします。競技者自身だけでなくその友人や応援してくれた人も含めて。

目の前に“スクラム”の光景がありました...。何事にも力を合わせることの象徴でありますし、
そして“ノーサイド”の瞬間。勝った負けたはどうでも良く、力の限り戦った者どうしがその健闘
を称え合う...。昭和のスポ根(私)と笑われてもこの姿に...感動(続きは次回に)

学生スポーツ③

2023年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

かつてスポーツ少年団コーチとの会話のこと掲載したかと思いますが、構造は同じような気が
します(恐らく全く同じです)...主役は学生であって、その原点はそのスポーツが好きである
こと。選手は監督・コーチの駒ではなくひとりの人間であり、以降それぞれの人生を歩むこと。

某大ヒットアニメで、バスケットはお好きですか?というセリフありましたが、まずはその
スポーツが好きですか? やるからには勝ちたいですか? そしてこの“チーム”で勝ちたい
ですか?言葉に出すか否かは別にして、こういう思考回路が自ずと作用しているようです。

人生における肉体のピーク時に好きなスポーツに打ち込む。学生スポーツの場合、プロでは
ありませんので、試合に勝ったからと言って賞金が出る訳でなく、反対に負けたからと言って
生活が出来なくなることもない。但し学生時代という限られた時間内という制約付き...。

今しかできないことに夢中になっている姿は何故か周囲にも伝播し、私のような50半ばの
オッサンですらその姿に感動し、心の底から勇気が湧いてくるような気がしております。
この日、トライ合戦のような様相でした。演出も今風で..(続きは次回に)






学生スポーツ②

2023年12月06日 | 日記・エッセイ・コラム

最近、何かと話題の学生スポーツであります。学生の“本分”は勉学でありますが、このブログ
の文脈で言えば文武は両道ではなく“不岐”...。学業、スポーツ共に頭も使えば体も使う...。
しかも10代~20代前半、精神的にはまだ未熟なるも肉体は人生のピーク時...。

鉄は熱いうちに打て...と、私もかつて先輩方から言われ続けて参りました。今しかできない
ことを夢中になって行えという意味と理解しておりました。体を使うことはもちろん、この
時期に見たこと、聞いたこと、感じたこと、読んだ本...等々、すべて後の財産であります。

学生スポーツはそんな、精神的には未熟であるけれど、肉体のピーク時に鍛錬に励み、その
課程で結果として生じる副産物(簡単にあきらめないとか、継続するとか、仲間との関係性
とか...)の総和が、その後の人格形成に寄与するものと今でも思っております...。

学生スポーツと言えども勝負事ですから、最初から負けても良いと思うのは本末転倒であり
ますが、勝つためには何をしても良い、プロ選手になるための通過点に過ぎない...そう言う
考え方には疑問符であります。さて学生スポーツのこともう少し続けます。







学生スポーツ①

2023年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

過日、ご縁ありまして国立競技場に行って参りました。12月の第一日曜日、毎年恒例のラグビー
関東対抗戦(明治大学VS早稲田大学:いわゆる早明戦)...。今年100周年だったようです。
久しぶりに国立に行き様々なことを考えました。学生スポーツ、伝統、そしてその先のこと...。

旧国立競技場で行われた最後の早明戦以来の訪問でありました。調べてみたらこの日は2013年
12月1日...。ということは10年ぶり...。早いですね~とは言いたくありませんが、本当にあっと
いう間の10年です。東京在住の20代の頃から、国立界隈は節目・節目で良く訪れておりました。

最近、様々なスポーツのコーチに会う機会が多いです。仕事上の関係は無く、ただの知人の集まり
なのですが、自らも運動部のOBゆえ、話の内容はスーッと腑に落ち、根性一辺倒でない科学的で
論理的なコーチングは、そのまま仕事の場に活かせることばかりだな~と。

国立の敷地内に入りました...。特徴的な木材のアーチが見え、暫く進むと東京五輪の聖火台があり
ました(写真真ん中)。2階に上がり外を見ると東京体育館が見え、その先には新宿の街並みが
一望出来ました...。国立で感じた学生スポーツのこと...しばらく続けます。

たゆたえども...③

2023年12月04日 | 日記・エッセイ・コラム

なよ竹の・風にまかする・身ながらも・たゆまぬ節の・ありとこそきけ。会津藩家老・西郷頼母
の奥方、西郷千鶴子さん辞世の句。戦いの足手まといにならぬよう西郷家の婦女子・幼児に至る
まで壮絶な自刃を。時代と言えばそれまでですが、風景を想像するだけで言葉に詰まります...。

たゆたえども沈まず。この言葉の意味を深く考えている最中に冒頭のことを思い出しました...。
洋の東西を問わず、自らの力ではどうしようもない事態に遭遇した時に人の底力のようなもの
が顔をのぞかせるようです。これは理屈の世界ではなく、生きてきたことへの矜持かと。

生れる時代は選べず、またどんな時代に生まれたとしても、その生きている期間は壮大な修行
の場なのだそうです(先輩からの受け売りですが)以前は、なんか胡散臭い説だな~と思って
おりましたが、50歳を越えたあたりから何故かその通りだな~と思うことしばしば...。

自らの街が侵略者に蹂躙され、それに対抗する力を自らは有していない。屈辱にまみれながら
も生きるため表面上は服従するが、心の底には“たゆたえども沈まず”の矜持。やがて必ず時は
来る...。様々な場面に置き換え、たゆたえども沈まず...と。いい言葉に逢いました。

たゆたえども...②

2023年12月03日 | 日記・エッセイ・コラム

バタフライ・エフェクト(NHK)は毎週欠かさず見ておりますが、このテーマ曲(ピアノ)の
タイトル名が “パリは燃えているか”...だということは知りませんでした。バタフライ...、小さな
蝶の羽ばたきが、時に大きな“うねり”となり歴史を動かす。そんな世界観と相俟って...。

番組のテーマに、この特徴的な音楽...。その相乗効果であります。歴史を学ぶことは今を生きる
こと。甚だ生意気ですが、理屈を越えて魂レベルに訴え掛けてくる何かを感じております。
パリは燃えているか? 侵略者のこの傲慢な物言いに、たゆたえども沈まず...この矜持。

たゆたえるとは難しい言葉ですが、揺さぶられるとかふらつくとかそんな意味のようです。
そこから転じて、どのような困難に遭遇したとしても決して屈しない。鋼のような強さという
より、はかなげな、或いは一時的に膝を屈したとしても決してあきらめない...そんな芯の強さ。

昨今のような大きな変革期...、歴史を遡ればそれこそ無数にあったかと思います。心地よかった
従前の風習や制度、それらが通用しなくなる。例え強力な鋼でも疲労を起こせば崩れ去る...。
他方、か弱いように見えて決して折れない柳の枝のような逞しさ...(続きは次回に)

たゆたえども...①

2023年12月02日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、パリは燃えているか?...と。何のことかと申しますとまず同名の映画のこと、同名の
楽曲名のこと...。そしてその背景に流れるフランス人の矜持・たゆたえども沈まず...。この
ことについて。パリ市の紋章に刻み込まれているこの言葉に感銘を受けました。

第二次大戦中、ナチスに蹂躙されたパリの街。しかしながらナチスの勢いは日に日に弱まり
ヒトラーは降伏する前にパリの街を徹底的に破壊するよう命令するが、ナチスの司令官はその
命令に背く...。打ち捨てられた受話器からパリは燃えているか?...という声が聞こえた...。

パリは燃えているか? 命令通りパリの街を破壊したのか?であろうと思います。連戦連勝
が一転、劣勢に追い込まれ、現場指揮官はもはや無条件降伏やむなし...の状況を受け入れて
いるが、安全地帯にいる指導者は破壊しろ、戦え...。いつの時代も、どんな組織でも在りがちな...。

上記の映画“パリは燃えているか”は、米仏合作1966年公開とのことですので、私が生まれる
前の映画。やはり名作は不朽であり、その後何十年経過しようと色褪せることはありません。
それどころか生まれる前の映画に勇気を頂く(私)のような存在も...(続きは次回に)