森は自然に出来たもの...。杜は人の手で...。人の手が入るということは、そこに杜を作ろう
とした人の意思がある訳です。木はすぐには大きくなりませんので、それを初めに植えた
人は、木の成長・50年、100先の未来を見ていたはず...。何らかの願いを込めて...。
やがてコンクリートが乱立する都市が出来ることを当時、想起していたか否かは分かりま
せんが、そこに杜があることの意味を...。都市が発展から成熟に向かう時、新しいものより
古いもの(人の意思によって継承されてきた事)に価値基準が移っていくような気がします。
昨今起こっている問題の特徴は、自らが生きている範囲で答えが出ない。ということだそう
です(同感です)。植樹のように時間が掛かるものは、まず始めなければいつまでたっても
杜は出来ませんし、植えた後は適切に手入れをしながら見守り続けなければならない...。
先人たちがそうやって築いてきたものについて、尊崇の念があるならば尚更、簡単に答えが
出る話ではありません。“合意形成” 私の周囲で最近良く聞こえて参りますが、これに参加
するのは、今生きている人だけでなく、先人たち、そしてまだ見ぬ誰か...であります。
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