銚子・角巳之・三代目

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

自然(普遍)の原理①

2021年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

これまたTV番組、日曜夜・大河ドラマが始まる前30分間の番組ですが...。今回のお話は
オーストラリア沖のごく狭い範囲の海域で繰り広げられるドラマ...。この海域、何故か生物
が多く、かつ巨大魚が集まる海域として注目されていた...。非常に興味深い内容でありました。

地球上最大の生物であるシロナガスクジラもこの海域にある一時期姿を見せるのだとか...。
体長40m・体重200㌧の巨大なクジラ...。海の頂点に君臨し、この存在を脅かすものは
いなであろうと思いきや...。一種だけ存在する...その名はシャチ...。

番組では巨大なシロナガスクジラに、シャチがその知能を全開にして集団で襲い掛かり、やがて
倒す。そんな衝撃的な映像が映し出されておりました。ちょっと信じがたい光景でありました...。
けれど、これも事実。生きるために(食べるために)殺す。でなければ殺される...。

厳しい自然の掟...と言えばそれまでのこと。そこに可哀そう、残酷という人間の感想が入る
余地はありません。勝ち取った獲物を小分けにして、親シャチが子シャチに分け与えている
姿から一転、今度はそのシャチが逃げ惑う姿が...。(続きは次回に)

(春の)刺身!

2021年04月14日 | 銚子のうまいもの

毎日の市場(水揚げ)速報を見ていると、サヨリ、サワラ...の名前を良く見掛けるようになり
ました。水揚げされる魚、収穫される野菜、畑の風景や風...。それらを通じて季節を知る...。
そんな感覚がすっかり定着しました。銚子生活も16年目(出戻りですが)になりました...。

写真は上段がカツオ、反時計回りにカンパチ、マダイ、サワラ...であります。最後(右下)が
サワラなのですが、魚辺に春と書いてサワラ。実が柔らかく(崩れやすく)鮮度劣化が非常
早いので、一般的には焼いたり、漬魚にしたりしますが、その魚を刺身で...産地特権です...。

銚子の飲食店で供される魚はすべて銚子港水揚げか?ということですが、漁師さん自ら獲った
魚のみでご商売されているところ、あるいは地元鮮魚店の一部の方々を除けば、答えは否...。
カンパチも銚子港で揚がるのですが数量はごくわずか。仕入品(養殖・天然)かと思います。

時化が続けば水揚げは無いし、水揚げあってもサバとイワシだけでは飲食店の品揃えが出来
ない訳であります。水揚げが無いので本日閉店...。潔い対応と称えられるでしょうが、これ
では商売あがったりで...。銚子港水揚げ、市場での仕入れ品に関わらず、春の魚...全盛期です。





煮魚(カサゴ類)

2021年04月13日 | 銚子のうまいもの

写真、カサゴの煮付け...。カサゴと言っても非常に種類が多く、そのこと自体は学者さんでも
ない限り、あまり気にすることでもありませんが...。たまに毒性を持つものがいたりしますが、
信頼できるお店でそういう魚が供されることはない...。この信頼関係が大前提ですので...。

写真のカサゴは、オニカサゴと言うそうです。もちろん銚子港での水揚げ。実物は確かに鬼の
ようないかつい顔をしておりました。バックナンバー(銚子の魚)見返してもこの魚は掲載
されていないようでしたので、次回市場で見掛けたら掲載します。

笠子と書いて、カサゴと読むらしいです。独特の体型から笠を被ったように見える...に由来する
とか、体表がただれたような状態に見え、瘡蓋(かさぶた)ではないか?から転じて、瘡魚...、
カサゴ...と。また全国各地で様々な名前が...。それだけ身近な魚ということでしょう。

似た種類で、オコゼという魚がおります。カサゴもオコゼも時に背びれ等に毒性があるものがあり、
10年以上前ですが、手のひら半分くらいのサイズの背びれに刺されたら、たちまち手が腫れ上が
って...と言うことが有りました。美味しいものには何とやら...。カサゴ類、非常に美味しい魚です。

アクアパッツァ(漁師風)

2021年04月12日 | 銚子のうまいもの

知人の漁師さんから連絡頂き、アクアパッツァ作るから食べに来い...と指令がありました。70代の
漁師さんから、アクア...?冗談でしょと思いました...。とにかく現場に行ってみるとすでに素材が
用意されておりました...。銚子港で朝揚がったマダイ、九十九里のハマグリ、地元のトマト...。

マダイはすでに処理されており、到着後すぐに調理が開始されました...。オリーブオイルを引いた
大鍋にマダイ投入。程よい焦げ目が付くまで焼いて、水を入れて、ちょっと塩入れて、ハマグリ
入れて、トマト入れて、香草散らして...出来上がり。簡単に言ってしまえばそれだけ...。

この完成品を5名で食させて頂きましたが、全くお世辞抜きで一同言葉が出ないほど美味しい...。
漁師さんは、してやったり...と満面の笑みで、どうだ...と。一同、恐れ入りました。その後、魚
の話など、楽しい時間を過ごさせて頂きました。この料理、youtubeで学んだそうです...。

作った漁師さん曰く、これは腕と言いたいけれど美味しいのは素材が良いから。素材が新鮮で、
血抜き等丁寧に処理すれば、塩とオリーブオイルだけでこんなに美味しい...。今回は料理の味も
そうですが、70歳を過ぎて新しいものに挑戦する先輩の気概に脱帽...であります。

お花まつり

2021年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

過日(4月8日)はお花まつり...。お釈迦様の誕生日、灌仏会(かんぶつえ)でありました...。
午前10時頃、仕事が一段落したので銚子の観音様(円福寺)に行ってみたら、ちょうど
法要の最中でありましたので遠くから見ておりました...。時間にして30分くらいですが...。

法要終了後、中に入れて頂き、誕生仏に甘茶を掛けて甘茶の振る舞いを頂いて...。いつもの
お花まつりの光景でありました...。誕生仏は右手を上に、左手を上に、天上天下唯我独尊...と、
そんな声が聞こえてきたような気がしました...。

お葬式などお寺で行い、仏教徒が多い(であろう)日本において、キリストの生誕祭(クリス
マス)は祝うのに、お釈迦様の誕生日を祝わない、それどころか知らないのは不遜だ...そんな
声も聞こえたりしますが、本日そういうことはさておき、いつもの場所での行事報告として...。

故あって、この場(銚子の観音様)は良く訪れております。熱心な仏教徒であるとか、そういう
事ではなく、僅かな時間ですが、その場に行くと何故か心地よい...。何故?といわれても答えに
窮しますが、心地よさ...。日々の慌ただしさの中で、意図的に作るべき時間であり場所と思います。

方丈記③

2021年04月10日 | 日記・エッセイ・コラム

コロナ騒動から1年以上が過ぎました...。今までの。当たり前に思っていた日常が脆くも崩れ去り、
緊急事態宣言が出て、解除になって、それでも感染者は増え続け...、たるんでるぞ!、気を引き締
めろ!...。平安末期から鎌倉への移行期もきっとそんな世相であったのでしょう...。

たるんでるぞ!と叱責した本人が、たるんでいるではないか?...。なら私も...と思う人もいるで
しょうし、違う感想を持つ人もいるでしょう。要するに...目に見えない恐怖に接し、人は本能的に
その底にあるもの(多くの場合、自らに不都合な事実)を見る...。行動は人それぞれ表層的なもの。

何事も、変わらないように見えて変わっており(例えば今ここで、ブログ投稿してる自分も昨日の自分
ではありません)、変わらないものなど何一つなく、やがて滅んでいく。これは非情であるけれど紛れ
もない事実...。変化に付いて行けず責任を他者に転嫁しても、実は自分も気づかない所で変化している....。

世相もあってか最近、方丈記は良く読まれてるそうです。仏教でいう無常観...。当たり前のこと、変わ
らないことなどありません。そして...滅んでいくのです。故に如何に生きるか真剣に考えて見ませんか?
そういう問い掛けなのかもしれません。眼前に見える利根川河口にて、行く川の流れは絶えずして...と。


方丈記②

2021年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム

鴨長明が生きた時代は平安末期から鎌倉初期...。明治維新などと同じで歴史の大きな転換点...。
公家から武士に政権の主役が交代。それだけでも大きな変化であったのに、長引く戦乱、大火事、
大地震に竜巻、飢饉まで...。人心は乱れ、為政者まで生きるためなら何をしても良いのだ...と。

そんな時代背景にあって、自らは和歌など文学の分野で、時の天皇までその実力を認めるほど
大きな才能を持ちながら、周囲の嫉妬や意地悪によって希望する職位に就くことができない...。
生きるために人の道を外れてく周囲と、全く思い通りにならない自分の人生...。

50歳の時に鴨長明は出家。京都郊外の日野と言う場所に庵を立て、その庵が方丈(約3m四方)
という大きさであった事から、その庵で感じたことを記したのが方丈記である。とのことです。
人が生きるにこれだけの大きさがあれば十分で、大きな、豪華な家への執着を捨てよ...と。

この隠棲生活に満足していた鴨長明も、最晩年にはその生活にも疑問を抱く...。希望する職位、
大きな家...、こういう執着を振り払って出家し、小さな庵で生活してきたが、今度はこの境遇に
満足し、それを手放したくない自分がいる...。このこともまた執着ではないか?(続きは次回に)

方丈記①

2021年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム

行く川の流れは絶えずして...で始まる方丈記...(私などが語るなどおこがましいことでありますが)
徒然草、枕草子と併せて、日本三大随筆の一つ...。冒頭の言葉は確か中学生の時に丸暗記させられ
いまだに、例えば写真のような風景(利根川河口ですが)を見ると思わず口ずさむ時が...。

暗記させられた...。というのは適切な表現ではなく、意味も分からず暗記させられたと思っていた
が、頭の柔らかい10代に意味は分からずとも何かのタネを仕込んで頂いた...。人並みに色々な経験
をして50を過ぎ、そのタネが今を生きるヒントに溢れていることに気付いた...。そんな次第です。

何故ここで方丈記が出てきたかと言えば、何の面白みもなく恐縮ですが先日TVで放映されていたから...。
作者・鴨長明がどのように生きて、どんな思いでこの書を著したか? またその時代背景は?等々
面白くなってTVに見入っておりました。無常観などと言いますが、何故無常なのだろう...と。

鴨長明は京都・下鴨神社の神事を統率する家の次男として生まれる。要するに名家のお坊ちゃま...。
何不自由ない生活を送るも、父親の逝去に伴って一族が分裂、権力争いの渦中に巻き込まれ出奔。
火事、竜巻、飢饉、地震...様々な自然災害にも遭遇し、ある境地に至る。続きは次回に。

多古水!

2021年04月07日 | 日記・エッセイ・コラム

ふらりとコンビニ(銚子市内)に入りましたら、入り口の目立つところにこの商品(多古水)販売
されておりました。500㎖で120円...。これが高いか?安いか?でありますが、そもそもこの商品
群は価格で評価される領域ではない...。(と言っても限度と言うものがありますが...)

地域との共同(協同)連携、あるいは意思を表明するもの...。と言いながら、この水には想いが込め
られておりますので1本(500㎖)500円ですとなったら、どうでしょうか?限度と申し上げた所以
です。商品を世に出す苦労は筆舌に尽くしがたい...。そういうことが見えるが故にまずは心より敬意を。

(千葉県)多古地区は、昨日投稿の成田空港に近く、有名な多古米(たこまい)の産地...。多古は多湖
に通じ、かつて多くの湖があったことなどから土地に栄養分が多いようです。そして米を育てるには
やはり水...。周辺の栗山川はサケ遡上の南限であり、地域をあげて水を守っている...。そのお水(写真)

販売者は多古町生活環境課さんでした。行政自ら前面に出る...この姿勢に気合を感じます。採取地は
多古町ですが、製造所は埼玉県秩父の工場名の記載ありました。様々なご苦労があったと思います。
何だ水か?と評論する暇が有ったら、貴方も商品作ってみなさいよ...。商品がそう語っておりました。


成田国際空港!

2021年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム

過日、千葉方面に所要有りその帰り道...。成田方面を経由し、上空に飛行機が多数見えたので、
飛行機鑑賞スポット(名称忘れました、空港近くに何か所かあります)で暫し、飛行機の発着陸
を眺めておりました。こんな近くで、ド迫力...。騒音も確かに大きいですが...。

たまに見て、わあ凄い。で終わる(私)などとは違い、そこに住んでいる人にとっては騒音等、
また違う感想があるのでしょうが、本日はそのことに触れず...。開業は1978年と空港案内に
ありました...。記憶を遡ると、私が小学校3年か4年の時、社会科見学に訪れた思い出があります...。

もともと新東京国際空港と呼んでいた記憶ありますが、2004年に関係法規が改正され、現在
は成田国際空港これが正式名称であります。周囲を走行中、三里塚という地名表示がありました...。
三里塚(闘争)...。通っていた大学にいつも掲げられていた大きな看板に書かれていたな...と。

歴史的に大きな反対運動や犠牲があったこと、地域の人や書籍で知るだけでありますが、成田の
空港は完全に地域に溶け込んでいるものと思います。この地は国の経済戦略特区に指定されており、
新たな取り組みが数多予定されております。二宮尊徳翁とご縁ある地。禍転じて福と為せ..であります。

中学校(統合)

2021年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム

今週から本格的な新年度、会社だけでなく地元・小学校、中学校でも新入生が登校を始める頃...。
また賑やかになりますね...が枕詞でありましたが.....。銚子市内、子供の数が激減し学校の統合
が始まっております。新生児の数も年間300人前後とのことです...。

今回は中学校の件...。銚子には中学校が8校ありました。一中から八中まで...。すでに四中と
八中が統合され銚子中学に。今春より五中、六中、七中が統合され銚子西中に。残るは一中、
二中、三中ですが、こちらもやがて統合され銚子東中になることが予定されているようです。

最盛期10万人近くいた人口が現在は約5万人であります。子供の数も減っており統合は仕方
ない事と思います。それぞれに思い出ある母校が無くなることは寂しいですが、現実を直視
しなければならない...。新生児が300人なら7年後、12年後はどうなるか?....。

先のことは何も分からないけれど、今ある現実を重ねれば予測される将来像...。この典型的な
領域であります。すでに1校当たりの生徒数が減り、部活が出来ない(例えば野球で部員が
9名以上集まらない...)等、様々な課題が...。昔は...ではなく、視点は今とこれからの最適で...。

挫折力③

2021年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム

何かの本に、30代に経験すべきただ一つのこと...と題して、大きな挫折を経験し、そこから
立ち直ること...とありました。大きな挫折とは曖昧ですが、自らの価値観を変えてしまうよう
な大問題であること。今までの経験則では解決できないこと。個人差も有ろうかと思います。

自らの前に現れた大きな壁...。前進することも、後退することもできず、それを一人で乗り越
えようとするも、全く歯が立たず...。そこで...。周囲の協力を仰いだり、先輩に知恵を借りたり
様々な方法を試してみて、すぐに結果が出なくても我慢して粘って...やがて...。これ財産です。

良くある話ですが...。20代~30代くらいまで、俗に言うやんちゃ坊主であった人が、40歳
を越える頃から“いい塩梅”の熟度を持った大人になったり反面、同時期に第一志望まっしぐらで
順風満帆と思いきや、40歳を超える頃ポキッと...折れてしまう。枚挙に暇がありません。

入社式のシーズンですが、各社若手の登用で30歳くらいで部長になれるような人事制度...等、
拝見します。そういう時代認識もありますが、やはり人間...。多くの挫折を経験し、それを乗り
越えてきた人でないと、立場になったときに脆い...。先の見えない昨今、尚更であります。

挫折力②

2021年04月03日 | 日記・エッセイ・コラム

ちょっと(かなり)写真がピンボケしてしまいました...。毎度のことながらご容赦を。場所は
多古米(たこまい)で有名な、千葉県多古町・道の駅付近...。写真と本文は一切関係ありませ
んが、この道の駅の向かいにある岩盤浴に入りながら、標題のこと考えておりました...。

突然ですが、火や刃物...。ともに人間の生活を便利に豊かにしてくれるものでありますが、使い
方を間違えると一転、凶器になります...。だから幼少期からこれらは怖いもの。と教わり、時に
痛い経験をしながら、それらとの上手なお付き合いを学んでいく訳であります。

例えがズレるかもしれませんが、権力というものも火や刃物に近いのではないでしょうか。
そして厄介なのは、火は熱く下手したら火傷する。刃物で手を切れば血が流れる訳ですが、権力
が傷つけるのは人の心...。故に魔物であり、行使する側の心が試される...。

実経験の中で、火や刃物は怖いと学んでいない人が、火遊びしたり、刃物を振り回したり...。
考えるだけでゾッとします...。挫折を知らないリーダーとは、要領よく立ち回り、何もして
来なかった人、火や刃物の怖さを知らない人で...。続きは次回に。




挫折力①

2021年04月02日 | 日記・エッセイ・コラム

先般掲載の挫折力...、その続きになろうかと思います。挫折力とは最近出てきた言葉ではなく、
従来(10年以上前)から、出ては消え...そんな状況であったかと。このブログのバックナンバー
にもありました...。従来あった言葉に時代が追い付いてきた。そういう事だと思います。

名選手・名監督ならずの格言もありますし、冷静に考えて見れば、負けを知らない(認めない)
指揮官の下で働くのは安心だろうか...と。何も会社だけでなく、地域でも、何かの集団でも....。
平時では何の問題なくとも、有事になるとその特徴が如実に現れる...。確かにそうであります。

書籍を読み進めながら...。リーダーと言うのは何らかの権力を持つものである...と。確かに、
大会社の社長さんだけでなく、規模に関わらず組織には人に命令を下す立場があるし、その
権力が正しく行使されないというのは、権力の怖さを知らない挫折力のないリーダーの所業...。

権力とは魔物で、一度その蜜を味わうと決して離したくなくなるものなのだそうです。故に
何らかの歯止め(在職期間の制限等)が必要なのだけれど、まずもって権力を正しく行使でき
ない人をリーダーにしないことだ...。そのためにはその人の挫折力を見よ...。続きは次回に。


新年度!

2021年04月01日 | 日記・エッセイ・コラム

多くの場所で、本日から新年度...。新しい始まりの日かと思います...。始めることは難しいが、
終わらせることはもっと難しい...。殊に自らの意思とは裏腹に組織決定への服従、時代の雰囲気
と言った究極時(戦争等)に日本人はどのように振舞ったか?そして新しく何を始めたか?...。

生きとし生けるもの、すべて命に限りあり、限りあるがゆえに尊く、また確実に終わりを迎え
る訳であります。どう終わらせたか?はどう生きたか?と同じであり、終わりの中に新たな
始まりの芽を見出す事...、これが希望であり希望あるがゆえに人は前を向けるもの...とは某先輩談。

先日、組織の中で傍流出身リーダーが増えているという記事を読みました。傍流...読んで字の如く、
本流から外れた支流であり、組織の中では左遷されたり、皆が嫌がる部門に長らく留められたり...。
流行言葉で言えば、組織の負け組と思いきや、この挫折力を有したリーダーを時代は渇望している...と。

挫折力...、自らの意思か否かに関わらず失敗を経験し、そこから這い上がって来る力...。コロナ禍
の昨今、確かに...(この話題後日また)新年度に当たり、今年は挫折力と言う言葉を掲げ、干支で
ある牛さんに登場頂き、そのゆっくりでも着実な歩みをお手本としたい。そう思う次第であります。