風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

孫台風襲来

2024-08-16 | 生活の風景
世はお盆休みだったけれど
ワタシ自身は13日にお墓参りしただけで
あとは9日から12日、14日と、4日間取材仕事。
とはいえ小学生の孫達は夏休みだし、その親達は仕事だし。
・・・ということで13日〜14日は
小学生の男孫達が我が家へお泊まりとなった。
13日は一緒にお墓参りして、その後ヤマトでお食事会。
翌朝は家人指導の元、朝ごはん作り。


野菜切ったり、卵焼き作ったりして
なかなか美味しそうじゃない?
4年生は卵焼き作りに自信を深めたらしい。
元々休日にはまだ寝ている親達横目に
自分の朝ごはんつくるらしいから
料理好きなんだろうね。

14日はワタシの大迫取材に一時付き合って
ガラス工芸の施設でサンドブラストに挑戦。
ついでに、曽祖母(ワタシの母)にもらった「お盆玉」使い
2人でお金を出し合ってママにお土産を買ったとのこと。
ガラスのブレスレット、いいねぇ😊
お昼を一緒に食べたあとは早池峰と賢治の展示館へ。


お兄ちゃんは賢治文庫で
宮沢賢治の伝記マンガに夢中。
読みたいものならマンガでもOK。
興味ある本を開くという習慣がつけば、
大人になっても本を開くだろう。
学べ、学べ😊
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終戦記念日

2024-08-15 | 世界・平和
毎年8月は色々と考えさせられることが多い。
ガザのことも、ウクライナのことも
ミャンマーやバングラデシュのことも。
もちろん日本のことも。

8月だけじゃなくて
いつも考えなければいけないのだけれど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸田の棚田

2024-08-14 | 生活の風景

花巻が誇る美しい風景のひとつ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はっこ清水

2024-08-13 | 散歩

花巻市大迫町の奥にある内川目の山の中。
公共水道も通っていない数軒の集落は
こんな湧き水が生活の源。
とても美味しく、汲みに来る人たちもいるほど。



清水の周りには小さなかわいいお地蔵さまたちが。
水神さまをお守りしているようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニューミュージック、フュージョン&ファンク

2024-08-12 | 音楽
ひょんなことから角松敏生を聴いてみた。
もちろん名前は知っていたけれど
実はこれまであまり通ってこなかったのだ。


聴いてみると・・・いいなぁ。
彼が私と同じ大学、同じ学部の同級生とは知ってたけれど
(学科は彼が哲学科、ワタシは国文科)
なんと誕生日まで9日しか違わないことを知って
より親近感。

しかも調べてみたら
小学校6年の時にはっぴいえんどを聴き始め、
その後Tin Pan Alleyを経て、
中学〜高校時代はフュージョンやファンクを通ったとのこと。
時期も含めて、ほぼ同じ道を歩んできたんだね。
そのことを知って驚いた。
いわゆる初期ニューミュージックと
フュージョン&ファンクが入り混じった曲。
そりゃ「いいねぇ」と感じるわけだ😆

同じ時に同じキャンパスに通い、
同じようなジャンルの音楽を聴いていたという
どこか(勝手に)同志と思えるようになった存在。
40年の時を辿りながら、もう少し追いかけてみようか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロスポーツ考

2024-08-11 | スポーツ
オリンピック考に続き・・・

プロスポーツとは何ぞやを改めて考えてみると
要は「常人にはできない技をお金をもらって見せる興行」。
語弊はあるが、ひとことで言ってしまうと見せ物だ。
もちろん行うのは人間だからミスもあるが
150km/hの球を投げたり、ドリブルで何人もかわしたり、
100kg以上もある人を投げ飛ばしたり、
氷の上でジャンプして何回転もしたりという
超人的な技を見せてくれることに人々は高額なお金を払う。
試合ともなると、そういう超人達の勝負だ。
だから、打てなかったり、シュートを外したり、勝てなかったり
見ている人々の期待通りの結果が得られなかった時に
その選手達を責めるのは間違いだと思う。
「そんならお前がやってみろ」という話だろう。

選手達を腐すネット論調が問題となっている。
匿名での無責任な投稿は、大衆の後ろから石を投げるようなもの。
これを卑怯と言わずして何と表現すべきか。
発言する時はそれなりの責任が生じる。
それを理解しない、マウントしたい輩が多すぎる。
そういう人たちは、
自身が何かしらのコンプレックスを抱いているのだと思うが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

79年目

2024-08-10 | 世界・平和


今日は1945年に花巻に空襲があった日。
終戦の5日前にも関わらず
たくさんの方が亡くなり、花巻の市街地は焼け野原となった。
私の祖父母や父が住む家も焼かれてしまい
また同じ年の大晦日に病気で祖母を亡くして
全てを失った祖父はガックリ落ち込んだという。
まだ10代前半だった母は
幼い妹を連れて防空壕に入ったものの
泣き声が的に聞こえるかもしれないからと
防空壕を追い出されたのだそうだ。

花巻と北上の間の後藤野に最北端の特攻基地があった。
そこを襲った釜石からの艦載機が
残った爆弾を帰り道の花巻市街地に落としていったと聞いた。
おまけに、まるで弄ぶように
花巻駅や似内駅周辺で逃げ惑う人々に
機銃掃射を行い、それでもたくさんの人が犠牲になった。

体験者は年々減っていく。
自分自身は経験していなくても、
親世代が経験している我々世代が聞いた話を語り継がなければ
また歴史は繰り返される。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎79年忌

2024-08-09 | 世界・平和

広島の「いしぶみ」同様
長崎についてもこの本でその惨禍を知った。
中学校の卒業式を終えたあと、高校入学前の春休みに
同い歳の従兄弟と2人で九州旅行へ行き、
長崎に立ち寄ったが
当時はまだ「昭和20年に原爆が投下された」という事実のみ
知識として持っていただけで、
高校時代に本書を読むまで具体的なことは知らなかった。
本も、写真も、映像も、そして体験者の話も
語り継いでいくためにはとても大事なことだと思う。

合掌
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピック考

2024-08-08 | スポーツ
毎日テレビやネットニュースはオリンピック。
まもなく終了になっていつもの日常に戻るのだろうが
このタイミングでひとこと。

選手達は何年も前から自分の人生を賭け、
想像もつかないほどの時間を使って試合に臨む。
心身ともに我々常人には想像もつかない辛さだろう。
そして厳しい代表選考を経ての参加だ。
結果は時の運。
自分の精一杯を発揮できてもできなくても
そのチャレンジは賞賛に値する。
ぬくぬく暮らしている我々がそれをとやかく言うのはおかしい。

そしてそれは日本代表だけじゃない。
どこの国の選手も同じはず。
自国の選手を応援するのはいいけれど
かといって他国選手を揶揄するのは違うと思う。
審判だって、競技によっては本業を犠牲にしながら務めている。
同じようなリスペクトを持たないと。

それは高校野球も同じだよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮沢賢治という人

2024-08-07 | 読書

先日、宮沢賢治学会の夏季セミナーが開かれた。
3人の若手研究者による講演はなかなか興味深くあったが
そのうちひとりに対して会場から質問が飛んだ。
「賢治はなぜ童話という手法を取ったと思いますか?」
その場では検討課題となったと思ったが
私個人的にはなぜそういう問いが出るのか疑問だった。
それがおそらく地元花巻市民にとっての「賢治さん」と
研究者にとっての「宮沢賢治」との間にある解離だと思われた。

基本的に、賢治さんは亡くなるまで子どもだったのだと思う。
生活のために労働した経験がなかった。
大人として社会を渡る人間関係構築に苦労していなかった。
常に純粋な目と思考を持ち、
およそ一般的な大人としての清濁併せ持つ、
いい意味での狡さがなかった。
そんな人間性を俯瞰してみると、とても普通の大人ではない。
だから賢治さんの目線で物語を紡ぐと
それは童話にならざるを得なかった思うのだ。
だって賢治さんが大人向けの小説を書くなんて想像できる?

花巻市民にとっての賢治さんは
近所に住む資産家の、子どものような総領息子。
「なんなんだあいつは」「しょーがねぇなぁ」と苦笑しつつ
どこか温かい目で見守る対象だったのではなかろうか。
もちろん賢治さんの作家、詩人、科学者、宗教家としての
優れた才能は疑うべくもないが
かといって犯すべからざる崇高な存在とも違う気がするのだ。
だから「偉人」とか「雲の上の人」的な扱いを受けたり
なんでもかんでも産業的や観光的に
賢治さんに関するキーワードを使ったりするたびに
市民感情としてはだんだん冷めてきてドン引きし始める。
個人的にそう感じている。

作品のテニヲハや細かい交友関係などをほじくるのではなく、
賢治さんが歩いた道や見た風景
呼吸した空気や空や雲を、自分も見て触れ、
そこからどんな作品が生み出されてきたかを感じることこそ
もしかしたら大事なことなのではないかと個人的には思うのだけれど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島79年忌

2024-08-06 | 世界・平和

広島に原爆が投下され
大変な地獄絵図になったことを初めて知ったのは
小学校4年生の頃に読んだこの本からだった。
当時の担任の先生に借りて読み、
その後自分でも同じ本を買ってきた。
旧制中学1年生というと
小学校を卒業してまだ数ヶ月の12歳〜13歳。
読んだ当時の私とは3歳しか違わない。
その子達が遭遇した過酷な運命。
ひとりひとりを追いかけたルポは顔写真もついている。
すでに大人っぽい子もいるが総じてまだ幼い表情だ。
その子達が熱戦に焼かれ、放射線に晒された。
全員が投下と同時〜数日で亡くなっている。

「あんなものは人間の上に落としちゃいかんです」
という被爆者の言葉が重い。
また、広島平和記念公園にある原爆慰霊碑の
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」
の言葉も重い。
今、世界はまた核の脅威にさらされている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽器の習得

2024-08-05 | 音楽
ギターを少し弾く。
ウクレレや三線も若干弾くことがある。
カホンを数回叩いたことがある。
昔々の10代の頃に1度だけベースを弾いたことがある。
ピアノはほとんど弾けないが、
子どもの頃から妹が弾いていたので
音符を見ながら鍵盤を叩くことはある程度わかる。
自分の楽器遍歴はその程度。

中学生の頃、エレキギターが欲しいと親に言ったら
「ドラムはどうだ?」と逆に聞かれたことがある。
学生時代に吹奏楽に入ろうかなーと思ったこともある。
でも結局どちらも縁がなく今に至る。
東京スカパラダイスオーケストラとか見ていると
そのどちらも「やっときゃよかったなー」と思うけど。

先日少年少女オーケストラの練習取材時に
「チェロやらない?」と言われた時にはちょっと心が動いた。
弦楽器ならギターやウクレレなどである程度慣れているし
チェロの音が好きということもある。
でもね、その練習を最後まで見ていたら、
左手よりも右手のボウイングが大事で難しいと知った。
「1からだけど、サックスやってみようかなー」
と思ったりもするけれど
新しいものに飛びつくよりも、ギターや三線を
もっと練習してうまくなれよという心の声が聞こえた。
そうだよね😅
年齢のこともあるし。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イーハトーブ音楽祭2024夏 2日目

2024-08-04 | 音楽

今日2日目。
我々の出番はBステージ16:00から。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イーハトーブ音楽祭2024夏

2024-08-03 | 音楽


いよいよ今日から。
2日間3ステージで熱い演奏が繰り広げられる。
出演者も、観客も、音楽で暑さを吹き飛ばせ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甲子園球場100年

2024-08-02 | スポーツ

子どもの頃のヒーローは阪神タイガースの江夏投手だった。
当時は連覇中の読売ジャイアンツの全盛時代。
特に王選手、長島選手のONは国民的な英雄だった。
そのひとりである王選手から三振を奪う
帽子をちょっと斜めに被ったアンチヒーローが江夏投手。
シーズン401奪三振やオールスターでの9連続奪三振、
そして球史唯一の延長戦でのノーヒットノーラン。
その試合、唯一の得点は江夏自身のサヨナラホームランで、
甲子園球場での試合後のインタビューで語った
「野球はひとりでもできるんやなぁ」
がまたカッコよかった。
江夏投手に憧れて以来約55年間阪神ファンだ。

高校野球の思い出の一番古いものは
1968年の三沢高校と松山商業との夏の決勝戦。
(この年は江夏投手が401奪三振の記録を作った年でもある)
実はその年、三沢高校の太田幸司投手を生で見ていた。
盛岡市営球場での北奥羽代表決定戦。
(当時の夏の大会はまだ1県1校代表制ではなく
 岩手と青森から2校ずつ出場する北奥羽大会で代表を決めた)
父親に連れられてその決勝戦を見ていたのだ。
「三沢のピッチャー球速いなぁ」
と呟いていた父親の声を覚えている。
甲子園での決勝は延長18回再試合となり
翌日松山商業が4-2で勝利し優勝。
それ以来何度か東北勢は夏の甲子園決勝まで勝ち上がったが
一昨年の仙台育英が優勝するまで優勝校が出なかった。

その3年後には父親の母校で、
私自身も、そして息子たちもその後入学することになる
花巻北高が夏の甲子園出場。
さらにその2年後には盛岡三高がさわやか旋風を巻き起こし
夏の甲子園で3回戦まで進んでいる。
こうやって時系列で並べてみると、
私が野球好きになった経緯がよくわかる。

高校入学後、野球部に入ろうか迷い
一緒に入ると言っていた同級生と1度練習に参加したが
いざ入部届を出そうと言っていた日の朝
その同級生が急に「ハンド部に入ることにした」と。
高校で野球部に入るというタイミングを逸したのだった。
でもやはり甲子園への憧れは消えることなく
いまだに開会式のファンファーレや
大会歌「栄冠は君に輝く」を聞くと胸が熱くなる。
そんな聖地甲子園は昨日100周年を迎えた。

あまりに思い入れが強すぎるのかもしれないが
甲子園に出場するチームは県代表としての姿勢を見せてほしい。
流行りに乗って、帽子を変形させたりちょこんと乗せたり
そんなことはして欲しくない。
道具を大事にするのと同じように、スタイルも大事に。
甲子園の強豪校を見ていると
どこもスタイルはきちんとしているし態度も立派だ。
一番感銘を受けたのは
何年か前に見た県立岐阜商業の記録係。
詰襟をきちんと締めた学生服で、学帽も被っている。
これこそ強豪校の矜持だろう。
悪貨は良貨を駆逐する。
強い意識で自らを律しないとそのチームのみならず
高校野球の文化そのものも無くなってしまう。
甲子園というブランドを大事にして欲しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする