風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

戦の正義

2018-10-16 | 世界・平和


大河ドラマの「西郷どん」が人気のようだ。
私もとりあえず毎回欠かさず観てはいる。
しかし、初回放送前からどこかひっかかる思いは
いまだに払拭できずにいる。

真実なのかどうなのかわからないが
西郷などのいわゆる「志士」の思いはわかった。
鳥羽伏見の戦いのあと、
慶喜が大坂から江戸へ逃げた理由も、
ドラマの解釈は腑に落ちた。
勝や山岡鉄舟による江戸城無血開城は英断だった。

しかし、会津を訪れた時に見聞きした
新政府軍の行状の理由はいまだに理解できない。
(長州勢による蛤御門の変の仕返し説は知っているが)
西郷たち新政府軍の行った残虐を理解することはできない。
根本的に、会津を朝敵と決めつけたことも理解の範疇を超える。
松平容保は京都守護の役を全うしたに過ぎないし、
そのことは孝明天皇も認めているではないか。
どんな理由をつけようとも
あの残虐行為は許されるものではない。

昔のことだと一笑に伏すことなかれ。
現代に至るも新政府軍の死者は靖国神社に祀られ
敵対した奥羽列藩同盟の戦死者は蚊帳の外だ。
(靖国はどうでもいいが、扱いが違うという意味)
この新聞記事を読むと、
奥羽列藩同盟は非戦同盟だったとのこと。
戦を仕掛けたのは新政府軍ではないか。


何を言いたいかというと
戦とは、戦争とはそういうものだということ。
どちらかが悪で、どちらかが正義というわけではない。
誰も「悪いことしている」なんて思っちゃいない。
どちらも自分が正義だと思って戦っている。
自分の命をかけ、殺し合いをしている。
相手をたくさん殺して、自分たちの正義を主張する。
いや、力ずくで押し通す。
それが戦争だ。
その中で、相手の死者を野ざらしにし
略奪し、陵辱し、火をつけ、無抵抗のものを惨殺する。
家に帰ればよき父、よき息子であろう人たちの所業。
それが戦争だ。

正義なんか振りかざしたって、何の理由にもならない。
だってどっちも正義なんだから。
これほど無意味で、非生産的で、虚しいことは他にない。
くだらない。馬鹿馬鹿しい。情けない。
だから、「西郷どん」で
長岡以降の戊辰戦争をナレーションだけで済ませたのは
正直言って納得できない。
西郷はどんな思いで会津や箱館を戦ったのだろうか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 方言と、原日本語の発音 | トップ | 今日も »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

世界・平和」カテゴリの最新記事