風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

雑誌「新俳句」

2015-03-03 | 読書


ちょいと我が家で生活に変化ができるので
ここんとこ週末は家の中の整理や掃除をしている。
その中で、懐かしいものが出てきた。

雑誌「新俳句」は死んだ親父の友人だった
自由律俳句の全国的第一人者、加賀谷灰人さん主宰の同人誌。
この世界では知られた雑誌のひとつだったはずだ。
出てきたのはその71号と72号。
前者は親父が死んだ時の追悼を特集していただいたもの。
後者にも親父の作品を載せていただいた。
親父が死んだのは平成4年だから、もう23年前のものだ。

    ☆    ☆    ☆    ☆

Kさん(親父の名)が逝去された。
平成四年六月二十三日であった。
Kさんは詩人であった。
昭和十九年十月発行の「雪明かり」という文芸誌に載せた
「星」という一篇がある。
これは当時、花巻厚生病院(風屋注:実際は花巻病院)の
看護学校の校長、赤羽王郎先生を中心に、
文芸愛好家達が発行していたもので、
この「雪明かり」誌でKさんの詩を最初に見たと思う。

   「星」
 (お前は奈良へ行ってきたそうだが、沢山のお寺を見てきたろう)
 私はお寺を見ては来ません。
 (お前は法隆寺を見たいといっていたではないか)
 私は法隆寺も見ては来ませんでした。
 (それでは一体何をしていたのだ)
 私は星を見ていたのです。
    (以下略)

十二行ほどの短唱だが、温和な品格のある詩である。
Kさんの闘病生活は何年になるかしらないが、
ここ数年は入退院を繰り返していたように思う。
この十年あまりの間私は年に一、二度は帰省していたが
そのたびにKさんの自宅で、退院した元気な姿を見、
旧交を温めたものであった。
  (中略)
Kさんの療養中、
宮沢清六さん(風屋注:宮沢賢治の弟)、HMさん、MSさん、TWさん
その他友だちがかわるがわる見舞っていたらしく
「今日は○○さんが来てくれて、こんな話をしあった」
とか、その都度ハガキで知らせてくれた。
  (中略)
またKさんに教えられて、
新幹線新花巻駅のそばの宮沢賢治記念館に立ち寄り
Kさんの親友MSさん撮影「岩手軽便鉄道」の蒸気機関車が
白い蒸気を吐き乍ら鉄橋を驀進する壁面一面の雄姿に
しみじみと見入ったことも思い出した。
今は心から御冥福をお祈りするのみである。

    追 悼

 君はあの銀河鉄道で発たれたか  灰人

    ☆    ☆    ☆    ☆

ワタシから加賀谷さんにお送りした手紙も掲載されていた。

    ☆    ☆    ☆    ☆

拝啓 先日は「新俳句」70号をお送りいただきまして
ありがとうございました。
大変遅くなりましたが、父は大正12年3月生まれで
享年70歳でした。法名は「教岳秀公善居士」です。
「法名などいらない」と遺していた程でしたので色々と迷いましたが、
長い間病気と戦ってともかく70年生きたことに敬意を表し
息子からということで、せめてもの居士号でした。
ただし生前の不信心もあり、あまり大げさにするのも・・・という
母の意見もあって院号は見送りました。
「居士」だけでも父は苦笑しているかもしれません。
    (以下略)

    ☆    ☆    ☆    ☆

当時ワタシはまだ31歳。
親父ではないが、苦笑しながらぱらぱら頁をめくり見入ってしまった。

ところで、もうすっかり忘れていたが
この手紙に当時のワタシは自分で作ってみた自由律俳句の作品も
どうやら同封したものらしく、3編掲載されてしまっている。
こそばゆいが、これもまた自分の歴史の一部。
せっかくなのでここに記録しておこう。
題して「風」3題(笑)

 ビニールハウスにゆれる風の乳房

 ほら風が山をころがってくる

 花を揺らすほどの風
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 就職活動解禁 | トップ | 懐かしいもの 第2弾 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読書」カテゴリの最新記事