風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

勘違い

2020-08-28 | 世界・平和

先日の毎日新聞1面にこんな記事が載った。
SNSを通じて、自死した木村花さん中傷投稿した人が
勇気を持ってインタビューに応じ、後悔しているという記事だ。
これを見て、かつて女優の裕木奈江へのバッシングを思い出した。
なぜ裕木さんがバッシングされたかというと
(30年近く前のことなので知らない人も多いと思うが)
人気ドラマで不倫相手の家庭を壊す役柄を演じたことにより
「嫌われる女性」のレッテルを貼られてしまったから。
今回の事例にとてもよく似ている。

ドラマやバラエティーは作り物。
そこには台本があり、より「効果的」な演出が施される。
それを「それがその人の本当の姿」と勘違いする人たちが多い。
実はドラマやバラエティーばかりではない。
トーク番組なども、その人の生身の姿と思い込んでいる人もいるが
実は事務所側のイメージ戦略で作られた人物像である場合も多い。
(特にアイドル系に多いと思う)
私が実際に目にしたことがある、とある人気アイドルの女性たちは
テレビに映るよりもはるかに仕事人的大人の女性たちだった。
おちゃらけてばかりいる芸人さんは
周囲の人たちへの細かい気遣いができる素晴らしい人だった。
(あそこまでカメラの前でスタイルを作る姿はまるで熟練職人)
どんな人でも、テレビに映るのは虚像と思っていた方が間違いない。

テレビは必ずしも真実を映していない。
かつて、初めて海外派遣される自衛隊員たちが
防衛省を出発するシーンで大勢の人たちが万歳で送り出した場面を
テレビのニュースで見たことがあるのだが、
同じシーンをフリーの映像ジャーナリストが
もう少し引いた絵を撮っていて、あとからそれを確認したことがある。
万歳しているのはほんの十数人。
その後ろで警察に進路を塞がれた数百人の人たちが
海外派兵反対を叫んでいた。
ニュースですらも映像は操作される。

ちなみにそれは電波メディアだけではない。
本や雑誌、そしてこう言っちゃ身も蓋もないが新聞も
表現によって意図的にある方向へ世論形成を図る時がある。
そこまで意図していない場合でも
演出的に、よりキャッチーに「効果的」表現されることがある。
それによって傷つく人が出てきたとしても
版元にしてみれば売れることが最優先、勝てば官軍。
(新聞に載っている週刊誌の見出しはその典型的な例)
それも眉に唾つけて見る必要がある。

クリティカルシンキングという言葉がある。
日本語に訳すと「批判的思考」だ。
「それは本当にそうなのか?」「なぜそうなる?」と
常に疑問を持ち続けて本質を考える思考だ。
現代の日本社会では決定的にそれが欠けている気がする。
知識詰め込み型の教育では身につかない思考だからだ。
ある意味、為政者たちからは世論形成しやすい国民性と言える。
情報の取捨選択や、本質を深く掘り下げた考え方をしないと
国の方向性を誤る危険性がある。

ところで私は本や雑誌、webを中心にメディアを作る立場。
はっきり言って売れるものは簡単に作れる。
誰かを傷つけることを気にせず、よりキャッチーに演出して、
野次馬根性をくすぐればいいからだ。
しかし私はそういうものを作りたくはない。
ぼろ儲けする気はないし、意にそぐわないものを世に出したくない。
一部の人たちでいい。
誰かの背中をそっと押してあげるものを作りたい。
誰かの心の支えになるものを作りたい。
そういう企画はなかなか通らないんだけど(^^;
コメント
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