風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

覚悟

2015-06-04 | 風屋日記
50代も半ばを過ぎ
間もなく四捨五入すればアラ還という歳になると
ボチボチゴールラインが見え隠れしてくる。
勤めている同級生達は皆それなりの役職者となり
教員異動の記事は校長や副校長から同級生の名を探す。
何人かで集まれば定年後の話をポツリポツリ。
毎年のように誰かしらが亡くなったり
重い病気で入院したというウワサが流れてきて
否応無く年齢を意識せざるを得なくなる。
体型も、頭髪も、鏡に映る顔もすっかりおっさんとなり
最近では戸籍通りジジイを自認し始めた。

あちこち体にも変調が現れる。
衰えやガタピシ言い始めるだけではなく
かつては成人病と言われた生活習慣病はもちろん
ガンや心臓、頭の血管系の病気も身近に感じられる。
「罹っても『若いのに』とは言われない歳だよなぁ」と
なんとなく自覚もいつの間にか身についてきた。

体調にちょっと気になるところがあり
今日胃カメラを飲んできた。
とりあえず今回は異常なしだったものの、
検査予定が決まってからのこの1週間は色々考えた。
いざという時の仕事の段取りをどうするか、
様々なパターンの検査結果とその後の対応を想像しながら
迷惑をかけないようひとつひとつの仕事について
どうなったらどうする・・・と計画を立てた。
体が資本のひとりでこなす仕事をしていると
それもまたリスクマネジメントのひとつ。

生活は大丈夫だろう。
妹も家人もいるから、母や義母も安心。
子どもたちはそれぞれ自分の家族を持ち仕事もしている。
大きな借金も無いし、自宅も名義上ワタシのものではない。
骨肉の争いを心配するほど財産があるわけでもない。
友人達もその時には「ちょっと早かったな」ぐらいで
すぐに忘れてくれるだろう。

仕事の段取りさえきちんと出来ていれば
あとは自分の覚悟だけ。
この世に未練が無いと言えば嘘になるけど
かといって執着するつもりも無い。
身の回りの物の整理をし、
親しい人たちに別れを告げる時間さえあれば
覚悟はできてるつもりなんだけど、実際はどうなんだろう。
その時になってみないと判らないけど、
少なくともそういうことを考えるいい機会ではあった。
コメント
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