風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「蠅の帝国~軍医たちの黙示録~」

2014-02-22 | 読書
人の命を救うことが聖命である医師。
にもかかわらず、本人の意思など関係なく
人を殺し、殺される戦場へと送り込まれた何万人の軍医たち。
満足な医療器具も薬品もなく、傷病兵を見捨てて撤退し、
亡くなった将兵の氏名を確認・記録し、
果ては「軍医といえど敵が来たら爆雷を抱えて戦車の下へ飛び込め」
と言われる理不尽。
彼らはそれぞれの任地である東南アジアで、中国で、樺太で、
そして原爆投下後の広島や大空襲後の東京で、
自らの聖命と軍の中の命令の狭間で苦しみ、倒れていく。
平時であれば人々に頼られ、
どれだけの人の命を救うことができたかと考えると
国が誇るべき秀才である帝大医学部出身者が
泥と人糞にまみれて死んでいく姿に悄然とする。
どんなに美辞麗句を並べ、どんなに正義を唱えようと
戦争はただの殺し合いであり、反人間的行為であることが
軍医たちの目を通してよくわかる。

「私の運命とて、目の前の蛍に似ていなくもない。
 いつ命を絶たれるかは神のみぞ知る、なのだ。
 蛍を眺めているうち、
 自分の運命をとやかく懸念するのが馬鹿らしくなった。
 この蛍の光芒のように、今を力の限り点滅すればいいのだ」

ところで、南京大虐殺や従軍慰安婦の問題について
喧噪著しく、また他国との軋轢の原因ともなっているが、
「虐殺はなかった」「慰安婦問題に軍は関与していない」
と言う人々は下の証言や手記をどう読むか。
ちなみに後者の手記は徴用した現地人に関するもの。
朝鮮半島、東南アジア、あるいは占領地における捕虜からの
慰安婦徴用も、当然まったく同じ構図に間違いない。

『(原爆投下後の広島で調査に当たっている医師が
  死者が多いことによる市内の蠅の多さに閉口している時
  中国の戦場から帰ったばかりの軍医の言葉)
 蠅を見ると南京を思い出すよ。
 いや、これよりもっとひどかった。
 ご飯の白いところが見えないんだ。
 それでも平気で食ったさ』

「あの何百人もの病死については、
 責任そのものも曖昧だった。
 まずは連行して来た海軍の部隊や軍属がおり、
 ろくな住居と食事も与えなかった司令部がいて、
 さらに突貫工事のために酷使した現場指揮者がいる。
 その先にいるのが、
 衛生医療業務の担当として派遣された軍医の私だ。
   (中略)
 セラム島カイラトに軍医として派遣されたのは
 もちろん私の意志ではない。
 航空基地建設が中止となり、今度は食料確保のため、
 軍医でありながら支隊長に任命されたのも
 私の希望ではなかった。
 すべて艦隊司令部の決定であり、命令だったのだ。
 私としては、国のため一生懸命働いたと
 全身全霊をもって言える。そしてまた、
 私以外の軍医が私の立場に立たされていたとしても
 別の道を辿ったとは思えない。
 とすれば、この罪は、
 日本人の誰もが背負わねばならなかったのだ」



「蠅の帝国~軍医たちの黙示録~」帚木蓬生:著 新潮文庫
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