風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

夕陽

2005-10-18 | 風屋日記
会社の階段から見た夕陽。
あんまりきれいだったので特別に今日2つ目のエントリー。
だけど携帯カメラからだと色がよくわかんないなー。
残念。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イキナリだったなぁ

2005-10-18 | 風屋日記
ハイ、ご期待通り「小泉くんの靖国参拝について」デス。

別に私は声高に「A級戦犯を祀って云々」とか「政教分離云々」とかを
正義感ぶって言うつもりはないよ。
行きたきゃ行けばいい。
ただしそれは周囲をよく見回して・・・ってことだね。
北朝鮮への経済制裁実施を「よく状況を鑑みて」と言う人が
なぜかこの件だけは「状況を鑑みない」んだなぁ。

神楽を通して神道とは縁の深い私が
ことさら靖国神社にウサン臭いものを感じるのは
「絶対的な存在」を主張するからなんだよね。
歴史的に言うと、あるいは文化史、宗教史、思想史上、
神道とは「自然神への信仰が中心の土着宗教」であるわけで
その素朴さが私の興味をひくところ。
決して生身の人間を神という「絶対的な存在」に祀り上げて
権力や威信の裏づけにするものではないはずだ。
まして靖国神社に兵士を祀るようになったのは明治以降のこと。
決して「日本の伝統的慰霊施設」ではない。

もともとの靖国神社ってどんな存在だったか知ってる?
明治維新の中心となった薩長土肥が戌申戦争で戦死した藩士達を祀ったものだ。
いわば明治新政府の威信を示す「アンタッチャブルプレイス」なのだ。
戦死した兵士を祀るようになったのは日清・日露戦争から。
要するに、明治政府が初めて行った「徴兵制」により
これまで戦とは縁がなかった農民達が戦死するようになったため、
遺族の不満を昇華させるべく「一緒に祀ってあげた」のだろう。
いつの間にか「逆らうことのできない存在」になってしまうことこそ
実は恐ろしいことだと思うのだ。

もうひとつ感じる「絶対的存在」性は、
戦死した兵士やその遺族の意志に関係なく祀ってしまうこと。
自分の夢や家族とのささやかながら幸せな生活をあきらめ、
他者によって「銃を取らされた(「取った」じゃないよ)」人々が
その不条理な運命を、せめて「故郷を守る」とか「靖国で会おう」と
自分の気持ちや後ろ髪引かれる思いを昇華させたことは理解できる。
そのことをどうこう言うつもりはない。
でも「祀られるのがヤ」な人までムリヤリ祀るってのはどうなんだろう。
その辺に「純粋な慰霊」以上の何か大きな意図を感じてしまう。

ところでうちのバンドのベーシスト&音楽ディレクターshishiさんが
先週から明日まで仕事で中国の大連にいる。
滞在中に何か不穏なことが起きないかどうか心配だ。
小泉くんの行動に「在外邦人のことも考えなきゃなー」と今までも思ってたけど、
今回程それを身近に、そして切実に感じたことはない。
「国民を守る」ことを目的に有事立法やら個人情報保護法を作った筈の小泉さん。
在外邦人の身の安全まで考えが及ばないわけじゃなかろう。
shishiさん、明日は無事に帰って下さいね。
30日はバンドの練習ですよー!!

    ◇      ◇      ◇      ◇

朝日新聞の企画ルポ「人脈記」を、いつも楽しみに読んでる。
「戦場ジャーナリスト」の時は全シリーズ切り抜きもした。
今日から新たにほっとけないキャンペーンの中心人物達のシリーズがスタート。
日本のホワイトバンドプロジェクトがどのように始まったのか、
明日以降がとても楽しみ。
ホワイトバンドをつけている方々は必見。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする