吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

人間が賢いなら、想定外を想定する。

2011年04月19日 | Weblog
何かをするとき、人は考える。何かをしない時でも、人は考える。人間以外の動物だって、考える。本能や反射なのかも知れないが、考え感じて行動する。感じたり思ったりする。よく考えるところが、人がほかの動物と異なるところだろう。

そして、科学だ。いろいろな物事の内容や道理を探求し、物事の本質や真理を見つける。そして、その論理や道理から、いろいろなモノやコトの内容や行方を推し量る。シュミレーションや予測などをして、自分たちの行動を考える。大方、予測と実際は違わない。予測と言っても予想と言っても大差ない。想像と言っても想定と言ってもいいのかもしれない。

しかし、この度の東日本大地震津波災害と福島第一原発事故への政府、保安院や東電の対応におけるはやり言葉は、想定外だ。自分たちが想定した範囲を超えた事故や現象だから、想定できなかったことだという。当初の計画想定外のことへの対処はできないのが当たり前だという。科学や技術や人智は、想定外には及ばないものなのだという。

素人の自分などは、想定外を想定するのが科学だと思っていた。わたしたち科学外の人間が想定できないことを想定してくれるのが科学だと思っていた。想像や予想や期待や予測は、みんな親戚だと思っていた。”考える”ことと同じだと思う。

考える、信じる、想像する、推測する、感じる、予期することや予測したり、予想することは、すべて考えたり、思ったりすることと近いものだと思う。イマジネーション(想像)といってもいいのかもしれない。思いめぐらすことなのかもしれない。

いろいろ考えたり、思いめぐらしたりする範囲が狭かったり、浅かったりしたことが、想定外を多くした原因なのではないだろうか。技術や科学が狭く、浅いなら、技術や科学の外まで考えることが大事で人智なのではないだろうか。想定外をなくすことが、科学なのではないだろうか。

文系の素人が勝手に思う想定外抄です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする