吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

畏怖するもの(自然)と恐怖するもの(原発)と半壊と。

2011年04月18日 | Weblog
昔から地震、雷、火事、親父は、怖いものの代名詞だった。オバケ屋敷やスリラーや真夜中の墓地なども怖いが、自分に直接襲いかかることはない。フィクションやバーチャルと現実を区別しているからだ。このたびの地震や津波の怖さは、リアルだ。テレビで見ているのだが、自分が体感しているようなそんな怖さが迫った。

ゴメンナサイと伏し目の泣き声でテレビを見た。自然という八百万神の怒りの鉄槌をくらった怖さだ。少し忘れていた自然や天に対する畏怖がよみがえった。そして火事以上の原子力発電所の爆発事故だ。わたしたちが、進歩とハイテクの頂上をいただいたと思ってつくった原発が爆発したのだ。そこに住み慣れた家や土があるのに、そこに暮らすことはできない。ヨウ素131やセシウムなどという放射能への恐怖を政府やマスコミが煽る。畏怖はない、恐怖だけだ。

いつの間にかヒトがつくったものの恐怖が、自然以上のそれになった。畏怖をともなう自然観を、危険や恐怖をともなう便利観が超えた。その矢先にこの事故だ。わたしたちが、”畏怖するものとこころ”を失いかけたその時だ。反省や自省の念にかられ昨日、茨城北部の田舎実家に向かった。90歳の母が自然を畏怖し、ひとり暮らしている。途中、宮城や岩手や福島とは少し違った風景を感じた。

常磐線からやっとダイヤ復旧した水郡線方面に沿う水戸からのタクシーの窓が、いつもと違う家々の景色を見せた。いつもの甍の波に鯉のぼりが、ほとんど見られず10軒に1~2軒が、ブルーシートや土嚢カバーの屋根だ。地震でやられた瓦屋根の仮押さえなのだ。このたびの地震津波での家屋全壊は10~15万戸だと報じられているが、屋根などを主にするいわゆる半壊は、その10倍の100~150万戸ぐらいになるのではあるまいか。

10万戸の仮設住宅建設をすすめている間の100万戸ほどの屋根修復は、果たしてどのようにすすむのだろうか。瓦職人もいない、瓦工場や業者も減った、瓦をつくる土もない、工場生産のスレートや新屋根材なども東北の住宅建設向けに行くことになろうし、我が家の屋根補修は5年後になりそうだとの嘆きを聞いた。津波で跡形もなく流された東北方面の方々に比べれば何をそんなことでと、お叱りを受けそうだが、これからの梅雨期や台風期、どのように凌ぐかアタマが痛いだろう。茨城は、那珂から常陸太田にかけての景色雑感でした。

タイトルと中身のズレをご容赦ください(おわり)。
コメント
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