吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

やたら摂らない方がいい、サプリメント!

2006年11月04日 | Weblog
 腹八分目とは、よく言った言葉だ。食べ過ぎることを止め、ちょっと足りないぐらいの食事が健康のポイント。日本だけでなく世界どこの国もそうだが、”モノゆたか”になった例外ではない食品、食料(糧)も、年々その種類や品数が増えてきた。人口の増加を越えてだ。世界的にメタボリック症候群になっている。すべての人々が、腹八分目というか食べる量を”半分”ぐらいにすることが、健康の秘訣。地球の食料資源も長持ちする。
 肉、魚、米、小麦、トウモロコシ、根菜や野菜および山の幸や海の幸などの食料資源の消費をミニマムにすることが、地球的に”ヘルシー”だ。年々増え続けてきた菓子類やデザートおよびファーストフードなども、昔はほとんどなかった。牛乳やジュースおよびその他の飲み物もそうだ。約1兆円市場に成長(拡大)したと言われるサプリメントが世の中に出たのは、ついこの間のような気がする。だが、このサプリメント(サプリ)、できればあまり摂らない方が”ヘルシー”だ。
 薬でも、ふつうの食べ物でもない健康補助食品とか栄養補助食品といわれているものが「サプリ」。定義する法律や規格は、あいまいだ。たんぱく質や脂肪や炭水化物(糖類)などが、”サプリ”になっていることはまずないので、ほとんどのサプリは、ビタミンやミネラルのような微量栄養素。栄養素と呼んでよいのかよくないのかわからないものもある。食物繊維や酵素(補酵素)のようなものも多い。ふだんの食事からでは、どうしても摂取できないものや不足なものを補うということで栄養補助食品(サプリ)なのだが、いまでは、”抜いた”朝食(主食)を補うものまでサプリだ。過剰摂取というより、不必要なものまで摂らされる結果となっているサプリは、要注意アイテムなのです。エネルギー源としての主食の摂り過ぎ(カロリー・オーバー)も問題だが、これを抑制する(ダイエット)ためとか、補う(調整)ということで大量に摂取されるサプリこそ、大きな問題児なのだ。”できるだけ摂らない”ことこそ「ヘルシー」の原則とも言える。
 不足しがちな栄養素を補うDHAやEPAに加えて、現代病ともいわれる”ストレスや心”をやわらげるタウリンやギャバなどや、”元気”ホルモンを訴求するアルギニンやアンドロなどが高麗人参などに加わった。いちょう葉エキスもやや”クラシック”になり、最近は細胞(ミトコンドリア)内でエネルギー産生に働く3要素、コエンザイムQ10、カルニチンおよびαーリポ酸などのような”若さや元気”およびエネルギー燃焼イコール”ダイエット”ならびに抗酸化万能などを訴求する補酵素カテゴリーまで出ている。
 こうしたサプリを、あれもこれもと摂ることで”健康維持”ができるのだろうか。一日20も30もの錠剤やカプセル剤など多くの種類を摂りすぎによる副作用の報告や臨床例がないのが残念。ふつうの食べ物を、多くの種類、少ない量、食事としてとることで十分健康維持はできるのだ。食事からでは全く摂取できない栄養素などないのです。いまからでも遅くない、やたら多くのサプリを摂るの愚を止めましょう。
 ちょっと挿入したスナップ(商品)写真は、こう言う小生が商品化したL-カルニチン配合のコエンザイムQ10ウォーターシード(60mL@4980円)です。(詳しくは、<mkg910@extra.ocn.ne.jp> にお問い合わせください。FAXの方は、03-5215-2276 )
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グローバルスタンダード化だけが信頼と暮らしやすさ社会の処方箋か。

2006年11月01日 | Weblog
 JIS(日本工業規格)やJAS(日本農林規格)などは、典型的なナショナルスタンダード(国家的規格/標準)だ。信頼と共存を高め、暮らしやすい社会や安心と繁栄できる経済市場をつくるには、お互いが同じく理解できるモノサシや約束が大事。お互いが同じモノサシ(尺度や基準)を利用することで”誤解や不信”をなくそうとするのがスタンダード(規格)と言われるものです。
 貿易や経済活動の国際化が進めば進むほど、自国のスタンダードと(貿易)相手国のそれが異なっていることが取引や交渉ごとの障害になっていることに気づいた人々が、お互いのモノサシ(規格)を共通な同じものにしようと、グローバルスタンダード(国際標準/規格)化を進めることになりました。
 しかし、この”すべてよさそう”にみえるグローバルスタンダードは、どちらかというと欧米先進国の基準に、日本やその他のアジアや開発途上国が諸国の基準を合わせようという動きなのです。だれもがお互い共通に理解でき、信頼と安心できる貿易や取引ができることを望んでいます。モノサシがひとつであることが、望ましいのは解っていますが、経済水準や生活水準はもとより、国民の身長や体重および暮らし方や価値観はさまざまです。一年中暑い国もあれば、寒い国など気候や国土の違いも、モノサシが違っていた背景ですから、なかなか”共通化”は難しいのです。
 格差の根本は、この地域格差です。都会と地方、先進国と開発途上国そして富める国と貧困国の格差の根源に、”生き方や価値観”と”歴史文化と教育”がありますが、何といっても「知」(知識情報)の格差があるのです。これは、いますぐ解消できるとか解決できることではありません。レベル(水準)を認識するがために、ダブル・スタンダードが容認的に発言されます。一方で、ダブルスタンダード、イコール二重基準や二重社会といわれ”悪者”扱いされますが、世の中ほとんどがダブルスタンダードとも言えます。
 富める国と貧しい国、都会と地方、上流社会と大衆社会、IT産業や農業など、国や社会としてみれば、平等性や一様性などないのです。統計や社会学などでは、社会や人々などの分布を大体一山型(正規分布)で教え”平均”などを語りますが、多くは双山型やロング・テール型が多いのです。それぞれの分布に合ったスタンダードがあった方がいいというのがダブルスタンダードになるのだ。
 現実、大きい人と小さい人のL、S、夏物と冬物、ONタイムとOFFタイムなどや国によって異なる甘さ、辛さや食品成分、必要な栄養成分などみんな違います。エレガンスやカジュアルといったファッションに対する感覚も異なるでしょう。まぁ、どちらかといえば国内市場問題と国際貿易を一緒に言っていることが問題なのですが、カオスや混沌という社会現象も紐といてみれば、このようなところから出ているのかも知れません。規制せず、基準化せず”あまり考えず”社会や国の人々が、自分のしたいようにやれば結果、”よい社会”になれば、これ以上のことはなさそうです。
コメント (2)
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