何も政治家やお役人のカタを持つわけではないが、多くの人々の会議や合議で何かを決め、多くの人々の協働でコトをなそうとする人々は、結構バランス感覚がよく、広い視野で物事の本質をつかんでいることが多い。根回しや妥協ばかりが、彼らのシゴトとは言えない。
4月30日、原子力安全学(?)を専門とする東大大学院教授の小佐古敏荘さんが、内閣官房参与を辞任したという(朝日新聞、5/1朝刊)。福島第一原子力発電所事故問題最中のこの時期、エライ先生が自ら”ヤッテラレナイ”と辞表を提出したらしい。専門家であればこそ”いろいろの意見”がありそうだと、多くの方々の意見を広く求めて何かを決定したいと、内閣官房参与をセカンドオピニオン集団化している菅内閣なのだろうに、困惑されていると思う。
確かに、素人の私たちには文部科学省の設定した「年間被曝線量20ミリシーベルト以下」という校庭利用基準が妥当なのかどうかはわからない。より低く厳しくすることが安全であろうことはわかるが、最大年間5ミリシーベルト望ましくは年間1ミリシーベルトあたりでGOすべきだと先生はいう。ご自分の主張が採択されていない不満が辞表提出の理由らしい。原子力安全問題をご専門にされる第一人者のご意見を役人やほかの専門委員の方がただ無視しているとは思えないのだが、不思議だ。ほかの先生方の多くは、この基準に賛同されているらしいからだ。
もちろん、お役所や内閣府の方々は、ただ形式的に”専門家”利用しているわけでもあるまい。本当に、当該する問題が専門的で難しいから、参与や委員をお願いしているのが実際なのではあるまいか。その辺の事情を分かっていて”参与”をお受けになったのではないだろうか。それを、ご自分以外の方々はみんな”専門知らずのバカ”感覚での辞表とは、ナサケナイ。いずれ、20ミリシーベルト以下が、10ミリシーベルトや5ミリシーベルト以下に改められても、先生の高慢はあとあとまで記憶されるでしょう。
これからも多くの専門家の方々の意見やアドバイスが求められる世情や時代だと思う。積極的に国家や人間の課題にかかわってほしい専門家の方々ですが、素人の庶民にやさしく教え続けてほしいと、お願いする。
4月30日、原子力安全学(?)を専門とする東大大学院教授の小佐古敏荘さんが、内閣官房参与を辞任したという(朝日新聞、5/1朝刊)。福島第一原子力発電所事故問題最中のこの時期、エライ先生が自ら”ヤッテラレナイ”と辞表を提出したらしい。専門家であればこそ”いろいろの意見”がありそうだと、多くの方々の意見を広く求めて何かを決定したいと、内閣官房参与をセカンドオピニオン集団化している菅内閣なのだろうに、困惑されていると思う。
確かに、素人の私たちには文部科学省の設定した「年間被曝線量20ミリシーベルト以下」という校庭利用基準が妥当なのかどうかはわからない。より低く厳しくすることが安全であろうことはわかるが、最大年間5ミリシーベルト望ましくは年間1ミリシーベルトあたりでGOすべきだと先生はいう。ご自分の主張が採択されていない不満が辞表提出の理由らしい。原子力安全問題をご専門にされる第一人者のご意見を役人やほかの専門委員の方がただ無視しているとは思えないのだが、不思議だ。ほかの先生方の多くは、この基準に賛同されているらしいからだ。
もちろん、お役所や内閣府の方々は、ただ形式的に”専門家”利用しているわけでもあるまい。本当に、当該する問題が専門的で難しいから、参与や委員をお願いしているのが実際なのではあるまいか。その辺の事情を分かっていて”参与”をお受けになったのではないだろうか。それを、ご自分以外の方々はみんな”専門知らずのバカ”感覚での辞表とは、ナサケナイ。いずれ、20ミリシーベルト以下が、10ミリシーベルトや5ミリシーベルト以下に改められても、先生の高慢はあとあとまで記憶されるでしょう。
これからも多くの専門家の方々の意見やアドバイスが求められる世情や時代だと思う。積極的に国家や人間の課題にかかわってほしい専門家の方々ですが、素人の庶民にやさしく教え続けてほしいと、お願いする。