先日の東京マラソンは、石原知事ならではの実行力(演出)で、大成功だったと喜んでいる。単なるイベントではなく、世界に”東京”情報を発信したという点で久々の戦略性を感じた。
しかし、都知事も例外ではなく、権力の座が長くつづくと腐敗する。政治家のスキャンダルや政官界とのしがらみや癒着、談合などが横行する。オレがという意識も強くなり「自分がやらなければ、誰が・・」という思いや「オレ以上の適任者はいない」という驕りもでる。石原慎太郎都知事が、「そろそろ引き際(年代)では・・」と思う庶民の感じや風を感じずに、つぎの4年も「自分が・・」と出馬に頑ななのは、大衆の空気が察知できなくなってきている証左だ。
強いリーダーシップで数々の業績を残されたことに感謝すればこそ、世代交代や若いリーダーの発掘を自ら進めてほしいと思う。時機は”いま”と思うのだ。
異色ながらビックリさせた建築家、黒川紀章さんやただ一人の政党・共産党公認で立候補される吉田万三さんにつづいて、話題の浅野史郎前宮城県知事の都知事選への出馬宣言がでた。すでに3期12年の知事(宮城県)経験者ではあるが、戦後生まれで「まだ、若い」世代だ。大学で教鞭をとるが、テレビでよく見る顔というタレント評論家で、出る機会や機運を醸成してきたという印象がつよい。本人の企てかどうかは別にしてだ。
ここに来て、テレビ・メディアの輩出したタレント弁護士、丸山和也氏も出馬する感じだ。出る、出ない「分からない」を言い続けて、電波を利用する態度は、浅野さんも丸山さんも五十歩百歩でいただけない。石原知事路線への対抗軸としては、この二人最右翼になるのだろうが、それを自覚するなら政策やご自分の考えを明確に打ち出すべきだろう。
吉田万三氏は別にしても、これらのタレント的三賢人は、それぞれ「東京都や都政の何を、どうしたい」というご自分の考えか、マニフェストを出してほしい。戦後世代の特徴は、あいまい性と「なんとなく」なのだと言っても、選挙には約束(公約)が前提だ。3月22日までにキチンとしたマニフェストや公約が披露されることを希望する。
しかし、都知事も例外ではなく、権力の座が長くつづくと腐敗する。政治家のスキャンダルや政官界とのしがらみや癒着、談合などが横行する。オレがという意識も強くなり「自分がやらなければ、誰が・・」という思いや「オレ以上の適任者はいない」という驕りもでる。石原慎太郎都知事が、「そろそろ引き際(年代)では・・」と思う庶民の感じや風を感じずに、つぎの4年も「自分が・・」と出馬に頑ななのは、大衆の空気が察知できなくなってきている証左だ。
強いリーダーシップで数々の業績を残されたことに感謝すればこそ、世代交代や若いリーダーの発掘を自ら進めてほしいと思う。時機は”いま”と思うのだ。
異色ながらビックリさせた建築家、黒川紀章さんやただ一人の政党・共産党公認で立候補される吉田万三さんにつづいて、話題の浅野史郎前宮城県知事の都知事選への出馬宣言がでた。すでに3期12年の知事(宮城県)経験者ではあるが、戦後生まれで「まだ、若い」世代だ。大学で教鞭をとるが、テレビでよく見る顔というタレント評論家で、出る機会や機運を醸成してきたという印象がつよい。本人の企てかどうかは別にしてだ。
ここに来て、テレビ・メディアの輩出したタレント弁護士、丸山和也氏も出馬する感じだ。出る、出ない「分からない」を言い続けて、電波を利用する態度は、浅野さんも丸山さんも五十歩百歩でいただけない。石原知事路線への対抗軸としては、この二人最右翼になるのだろうが、それを自覚するなら政策やご自分の考えを明確に打ち出すべきだろう。
吉田万三氏は別にしても、これらのタレント的三賢人は、それぞれ「東京都や都政の何を、どうしたい」というご自分の考えか、マニフェストを出してほしい。戦後世代の特徴は、あいまい性と「なんとなく」なのだと言っても、選挙には約束(公約)が前提だ。3月22日までにキチンとしたマニフェストや公約が披露されることを希望する。