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今日は劇団文学座の俳優であり、演出家の坂口芳貞氏が登壇し、文学座の歴史、伝統の継承と革新について語る。すらりとした長身は背筋が伸び、張りすぎず低すぎない声はきちんとこちらに届く。坂口氏が文学座研修所に入ったのは1963年、まさに文学座大分裂の危機に瀕していた時期である。そのころの劇団の空気、杉村春子のようすなどから今日の話は始まった。
話の本筋からしばしば脱線するときに、登場する杉村春子や北村和夫のエピソードのおもしろいこと、その口調のそっくりなこと!
あらためて杉村春子という女優が周囲に与えた影響というものを強く意識させられた。唯一無二の存在として崇拝する人はもちろんいるが、なかなかに複雑な感情があるものと察する。 劇団活動の軸となる人物、おおぜいの後輩たちを牽引してゆく存在は、両刃の刃ではなかろうか。
坂口さんは冒頭で「わたしは杉村さんの晩年はすごく尊敬しましたが」と本音を語られたので、こちらも気が楽になった(笑)。何というか、こういうことばを聞くと安心するのである。文学座の座員がひとりのこらず熱烈な杉村春子信者であるとしたら、それは一種の宗教に近いものであり、自由で刺激的な創造活動からは離れていくと思う。
アトリエ活動において、アンチ新劇的なことをがんばった世代である坂口さんは、「杉村さんは怒りながらも、ぼくたちを励ましてくれた」と振りかえる。さらに筆者が思わず身を乗り出したのは、『女の一生』で主人公布引けいをつとめた杉村さんの演技が、「70歳を過ぎてからも進化した」ということだ。劇の冒頭、おさげ髪の少女で登場した杉村さんは、鉢合わせした堤栄二(北村和夫)に向かって、「あたし、布引けい」と名のる。可愛らしく、いかにも少女らしい高い声だ。しかし70代になってけいを演じた杉村春子は、そのままの地声で「あたし、布引けい」と発した。そして70代の低い声のほうが、かえってこの少女らしい風情をつくったというのだ。これは若づくりなどという小手先の技術を超越した至芸ではなかろうか。
坂口さんのお話を聞きながら、ここにも演劇に魅せられた人生を歩む人がいると胸が熱くなった。人と人との関係が一瞬ごとに変わっていくのが劇であること、歴史の交点が劇になること、長大な歴史のなかで、ひとつの劇に出会える奇跡・・・。ことばのすべてを完璧に記せないのはもどかしいが、いまお話を聞いている早稲田大学の8号館309教室もまさに歴史の交点であり、講師の坂口さんはじめ受講生ひとりひとりの人生が、演劇という宝を通して交わる一瞬であることを実感した。
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