因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

シス・カンパニー公演『ロンサム・ウェスト』

2014-05-19 | 舞台

*マーティン・マクドナー作 小川絵梨子翻訳、演出(1,2,3,4,5) 公式サイトはこちら 新国立劇場小劇場 6月1日まで
 2006年秋にステージ円で上演された森新太郎の舞台がいまだに忘れがたいが(ブログの記事、えびす組劇場見聞録24号)、そのとき「堤真一や高橋洋だったらどんな舞台になるかなあ」と夢想した。北村有起哉のイメージも心をよぎったと記憶する。今回それに非常に近い舞台が実現したことに背筋がぞくぞくした。兄コールマンを堤真一、その弟ヴァレンを瑛太、ウェルシュ神父に北村有起哉。ほとんど最強の布陣ではなかろうか。
 バルコニー席だったが見切れはなく、むしろ近距離で俯瞰する印象だ。

 とにかくこの中年兄弟の諍いが半端ではなく、町には親殺しに妻殺し、自殺者が続出するという「八つ墓村」ばり、しかも兄弟たちがその環境を憂えたり恐れたりしている様子はなく、目の前のフィギュアの置物や酒やポテトチップスなどの所有権をめぐって死闘を繰りかえすばかり。彼らに神の福音と赦しを教えようとするウェルシュ神父の奮闘は完全に空回りし、酒びたりと弱気をからかわれる始末だ。

 ほとんどこの世の果てのごとき様相なのだが、ここまでひどいともう笑うしかない。実際客席には笑いが溢れており、テレビや映像などでも活躍する有名俳優が繰り広げるアイルランドのとんでもないお話を、わりあい自然に受けとめていた印象だ。とくに自分は本作の流れや結末を知っており、これほど憎みあいながら、兄弟たちは決して死なないことがわかっているので、安心してみていられる。

 精緻に組み立てられた舞台であり、俳優陣も大健闘だ。しかし欲を言えば商業演劇的安定感があって、演劇集団円の舞台にあった濃厚な「おっさん度」が薄れ、スマートに収まったきらいもある。

 男どものなかにたったひとり飛びこむ少女ガーリーンは、あらためて難役であると思う。今回オーディションで選ばれた木下あかり、先輩たちにぶつかりながら非常に健闘していたと思う。 しかし何かが足らないようなちがうような、もどかしい思いが募るのである。このもやもやがきちんとことばにできないことが、今回の『ロンサム・ウェスト』の第一の問題点だ。
「木下あかりにもう少し強い個性がほしい」とする新聞劇評があったが、必要なのは個性なのだろうか。たとえばガーリーンを満島ひかりが演じていたとしたら?ここ数年多くの作品で高い評価を得た売れっ子女優である。イメージもそれほどかけ離れていないと思う。よく知られた女優ならばみるほうにとってイメージがくっきりして、舞台の輪郭やとくにウェルシュ神父との関係が鮮明になると考えられる。

 しかしそう簡単にいかないのがマクドナーだ。仮に満島ひかりが登場したとすると、うっかりすると男性3人よりも印象が強くなってしまい、作品ぜんたいのバランスを崩すことにもなりかねない。むずかしい。しかしこうしてあれこれと妄想するのはたまらなく楽しい。
 つまり本作はこれからさまざまな座組みと演出によって、そのたびに新しい顔をみせる可能性が極めて高い作品であるということではなかろうか。

 さて実はこの舞台、えびす組劇場見聞録のメンバー4人ぜんいんが観劇しており、うち2人は円の森新太郎演出版もみている。この舞台の何かに対して合評することはできないだろうか。うーん、たとえば「あのきょうだいはなぜべつべつに暮らさないのか」、「神父に対するガーリーンの恋心は納得ができるか」、「今回の座組み以外でみてみたい配役は?」などなど。

 これはこういう芝居だからこのような作り方がぜったいだというタイプでなく、みるほうにとっても多様な受けとめ方が可能な作品だ。これから上演されるかもしれない『ロンサム・ウェスト』、早くも楽しみである。

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