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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

「加藤武 語りの世界」

2015-01-29 | 舞台番外編

*公式サイトはこちら 1月17日のみ 日本橋亭
主催者である宮岡博英事務所は、2005年より「加藤武の宮本武蔵」と銘打ち、吉川英治の「宮本武蔵」朗読独演会を行ってきた。今回はその『宮本武蔵』と小山内薫の『息子』の二本立てだ。前者はこれまでの公演で語られなかった箇所が披露されるとのこと。「お江戸日本橋亭」の小さな会場は満員札止めの大盛況。椅子席につけず、桟敷席に座った。舞台がこんなに近いとは・・・。

 まずは今回のゲスト・落語家の桂三木男による一席。猿に似たご面相であることから、「猿」が禁句のこわいおかみさんをうっかり怒らせてしまった。どうすればご機嫌をなだめ、お小遣いがもらえるか。ない知恵を絞ったあげく、とんだ「猿知恵」となる顛末。

 つづいて加藤武が登場し、小山内薫『息子』を語る。
 手に台本を持つ朗読ではなく、いわゆる「無本」の語りである。
 当日リーフレットによれば、この一幕ものは歌舞伎でもたびたび上演され、戦前戦後の学生演劇でも人気演目であったとのこと。とはいえ、3人の登場人物をひとりで語るにはさまざまな困難があり、工夫が必要であったと思われる。大雪の日に突然小屋に飛び込んできた見知らぬ男と、火の番の老爺の会話が中心の短い物語だ。この男がお尋ね者であり、かつて出奔した息子であるらしいことなど、はじめてみる(聞く)ものであっても話の筋はわりあい読めるものだ。
 「朗読が読書会になっちゃあいけない」というポリシーで、あくまでも芝居の一環(公演チラシより)というのが、加藤武の心意気であるとおり、座ったままの姿勢がときに窮屈に感じられるほど、からだの動きも加わっての熱い語りであった。

 中入り後はもうひとりのゲスト・三味線のお囃子・岡田まいによる音曲の一幕。
 これが軽やかで非常に楽しかった。
 岡田さんは日ごろは都内数か所の寄席で、舞台の袖から落語家の出囃子、落語の中に出てくるさまざまな音曲を弾いておられるとのこと。まだ若く、しかもこんなに美しい女性がお客さまに顔を見せないとはもったいない話である。
 さて岡田さんはお客さまの前で語るのはあまり慣れておられないようだったが、そこがかえって好ましく、それが謡いの「梅は咲いたか」になると一遍、艶やかな声になるところがいっそう魅力的だ。
 また出囃子の曲は噺家によってすべて決まっており、「たとえば林家三平師匠はこれ、木久蔵師匠はこれ」と、いくつか例をあげて披露された。なかには亡くなった先人があまりに偉大であるため、同じ曲を使う人がいないなどのエピソードも語られ、不勉強の門外漢は聞き入ることしきり。さらに今度は客席からリクエストを募り、「志ん生」、「志ん朝」(ここの記憶はあいまい。お許しあれ)とつぎつぎにあがる声に即座に対応し、あざやかに弾いてくださる。

 すごいのは岡田まいさんだけではない。この日の太鼓は前半に登場した桂三木男で、三味線と同じく、どの師匠の何の出囃子であってもすぐさま調子を合わせ、小粋な響きを聴かせるのである。
 最後の曲は「かっぽれ」(これなら知っている!)で、「ついさっき決まったのですが」と、なんと加藤武が太鼓を演奏することに。出囃子の太鼓というものに、ピアノやヴァイオリンのような「楽譜」があるのかどうかはわからないが、決まったリズムで叩けばいいというものではなく、三味線と呼吸を合わせ、ほんの少しのタイミングもはずさず、ぴたりと収めねばならない。そうとうな年季が必要ではなかろうか。
 小気味よく、うきうきするようなか「かっぽれ」のあとは、いよいよ「宮本武蔵」である。

 吉川英治の「宮本武蔵」の「二天の巻」より、『魔の眷属』の一段。これは武蔵と鎖鎌の名手・宍戸梅軒の対決の場である。
 小説であるから地の文と台詞の部分があるのだが、内容が内容だけに、加藤武の語りは前半の『息子』よりも数段熱く、全編がダイナミックに躍動しながら客席に押し寄せるかのような迫力である。かといって過剰な演技とは感じられない。十年以上前に放送されたNHK大河ドラマ『武蔵』で、市川新之助(現・海老蔵)の武蔵と、吉田栄作が演じた梅軒の一騎打ちを思い出しつつ、しまいにはそれもどこかに消し飛んで、加藤武の語りに前のめりで聞き入った。

 これは語る俳優はもちろんのことだが、吉川英治の「宮本武蔵」じたいにそうとうな熱量があると思われる。これほど熱く力強い声と演技がぶつかってきてもびくともしない。
 逆に言えば、語る者はここまで気合を込めねば文章に負けてしまうのだ。
 昨今さまざまな形式のドラマリーディングが行われるなか、「加藤武 語りの世界」は極めてシンプルなつくりである。演出家がみずからの視点で読み込み、新しい切り口を示すといった色合いは影をひそめ、原作と役者があるのみ。潔く、あっぱれである。
 今年の春で86歳になる加藤武は、 かつての雄姿を思い起こすと、さまざまな面で衰えが感じられるのは否めない。しかしこの方にはなんというか、「おれはぜったいにがんばるぞ」という若手顔負けの懸命な熱意が溢れており、しかもそれが暑苦しく押しつけがましいものではなく、ユーモラスな愛嬌を醸し出し、加藤武しか持てない魅力に通じているのだ。
 必死のご本人には失礼かもしれないけれど。

 松はとうに過ぎたが、小ぢんまりした寄席で落語と三味線、語りをたっぷりと味わい、お正月らしい心持ちになれた。落語をもっと知りたいと思うのだが、寄席にはなかなか足を運べない。今回の会がきっかけになって、つぎの一歩に踏み出せますように。 

 

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