*これまでの記事(1,2、3、4、5,6,7,8)
龍馬は剣術修行のために再び江戸にゆき、千葉道場の定吉(里見浩太朗)、重太郎(渡辺いっけい)、佐那(貫地谷しほり)と再会する。龍馬を待ち焦がれていた佐那、妹の恋をかなえてやろうと必死になる重太郎だが、龍馬にその気はなく困惑している。
武市半平太(大森南朋)は、水戸や薩摩、長州藩士たちとつながりを持ち、攘夷を推しすすめようとするが、ここでも下士である自分の身分に打ちひしがれる。半平太を崇拝しながらも、その強固な思想に龍馬は気後れし、ここでも困惑している。
そんな折、同じ土佐藩士の山本琢磨(橋本一郎)が盗品の時計を金に換えようをしたことが発覚し、半平太たち攘夷派の藩士が琢磨に切腹を迫るなか、龍馬はひとり反対し、琢磨を逃がす。
江戸での剣術修行、父(児玉清)の死、さまざまな人たちとの出会いを通じて、龍馬は着実に成長し変化している。しかし彼のベースは「命が大切である」、「喧嘩は好かん」である。新しい考え方、違う思想や予想外の出来事に遭遇したとき、激しく動揺し、迷い悩む。武市に「攘夷派の仲間になってほしい」と懇願される場では、武市の狂気じみた熱意になかば怯えながら懸命に自分のベースを守ろうとし、琢磨の事件では毅然として切腹に反対し、この二つがゆるぎないものとして彼の中にあることを感じさせる。
ドラマの終わりに登場人物ゆかりの場所を紹介する短いコーナーがあるが、今夜は神田駿河台のニコライ堂であった。龍馬に命を救われた山本琢磨のその後の人生は、本人はもちろん、琢磨を逃がした龍馬にも想像できなかったに違いない。龍馬が琢磨を逃がすときに、「きっとどこかにおまえを生かす場所がある」と懸命に励ます。その通りだったのだ。たったひとつのパンを盗んだ罪で何年も獄につながれたジャン・バルジャンが、仮釈放されたものの、行く先々で前科者であるゆえに痛い目にあい、迷い込んだ教会で銀の蜀台を盗み、「兄弟よ、それはあなたに差し上げたものだ」と司祭に諭されて生まれ変わる『レ・ミゼラブル』のごとく、尊王攘夷に燃える若者が、たったひとつの時計によって人生が変わり、流転ののちに函館でロシア正教に出逢って、日本で最初の司祭になったとは。いつもはドラマ本編が終わったあとのこのコーナーは緊張が緩んでしまうのだが、今夜はきっちり最後まで本編と同じように集中してみることができた。
再び江戸に行くまでに2年4カ月(でしたか、お佐那さま)も経ていたようには感じられないドラマの運び(極端な話、ほんの数日のようにすら感じられます)、さまざまな場面において弥太郎(香川照之)や半平太に対して、どうも龍馬が「いいとこどり」をしている印象、龍馬の造形が少し凡庸に感じられてきたことが気になりますが、さて次回はもう土佐に戻り、一波乱あるらしい。引き続き。
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