因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝『八月の鯨』

2013-12-05 | 舞台

*デイヴィッド・ベリー作 丹野郁弓翻訳・演出 公式サイトはこちら 三越劇場 19日まで (1,2,3,4,5,6,7,8,9
 岩波ホールで1988年に公開された同名の映画(注:第2回東京国際映画祭の女性映画週間参加作品として、前年の87年に同ホールで上映されている)がよく知られているが、もともとは舞台劇として書かれた作品である。
 映画は評判を呼んで異例の長期上映となり、今年の冬にはニュープリント版もお目見えした。実は四半世紀前(!)に上映されたとき、自分もみたのであるが、それこそ鯨がゆったり泳ぐさまのようなテーマ音楽、老姉妹が岬にたち、鯨の訪れを待つ終幕あたりか。妹のセーラ(舞台ではサラ/リリアン・ギッシュ)が「鯨は行ってしまったわ」というのに対して、姉のリビー(ベティ・デイヴィス)は頑固に「分かるもんですか」と答える。「You can't tell so.」この台詞と、姉妹が互いに腰に手を回してしっかりと立つところが記憶に残るのみである。
 今回は演出の丹野郁弓みずからが翻訳し、姉リビーを奈良岡朋子、妹サラに日色ともゑ、姉妹の家を訪ねる亡命ロシア貴族マラノフに客演の篠田三郎という大顔合わせとなった。

 登場するのは老人ばかり5人(失礼!)、場面は老姉妹の暮らす家から動かず、わけありのマラノフの存在が姉妹の暮らしに波風を立てはするものの、一夜明けて何かが劇的に変わるわけではなく、淡々とはじまり、静かに終わる1日が描かれている。
 作者デイヴィッド・ベリーが30代で本作を執筆したことに改めて驚く。公演パンフレットにはベリーによる挨拶文が掲載されており、どうして本作を書こうとしているのか、何度も書き直し、書き終えるまで自分でも分からなかったと吐露している。彼が幼少期や思春期に、大おばたちやその友人、地元に暮らすさまざまな人々とともに過ごした経験がベースにあるらしいが、挨拶文にも「なぜ書こうとしているのか」の答は明記されていない。
 強烈なテーマ性も問題告発もない。高齢者問題は、映画が公開された当時に比べてより深刻に差し迫ってこちらに迫ってくることは確かだが、本作は「老いに備えましょう」と警鐘を鳴らすものではない。

 老姉妹の交わすやりとりは、ときにひやひやするほど辛辣である。とくに献身的に姉の世話をする妹が、「わたしにはわたしの人生がある」ときっぱり主張するあたり、家族だから、血のつながったきょうだいなのだからすべてを受け入れてわかりあえるはずという甘い思いこみや期待をきっぱりとはねつける。姉妹はともに暮らしているが、あくまで「孤」なのである。
 これだけ自己主張した翌朝の終幕は、なかなかに複雑な味わいを残す。
 仲直りしてこれからもずっと一緒に最後まで生きていきましょうとなったわけではなく、むしろ姉妹のあいだは劇の最初よりもある意味で溝が深まっている面もある。それでも姉は妹の手を握って「愛している」と言い、妹もまたそれに応えるのだ。

 いまさら本欄で書くことではないが、奈良岡朋子、日色ともゑの明晰な台詞がすばらしい。「この舞台は信頼できる」というゆるぎない確信を与えてくれる。お二人とも決して声を張り上げたり、大上段に振りかぶった演技はなさらない。いわゆる新劇系の舞台風の演技というよりは、もっと自然で肩の力の抜けた立ち姿であり、台詞である。きちんと聞こえる台詞というのは、何と心地よいものだろうか。聞きとらねばと神経を使いながらの観劇は非常に疲れるものだ。しかしすっと耳に入ってくる台詞は、こちらの心身を楽にしてくれる。かと言って緩みきってしまうのではなく、適度の緊張をもって舞台に集中できる。

 奈良岡朋子、日色ともゑ両氏の実年齢と演じる役柄の年齢は、おそらく非常に近いものであろう。年齢、経験を重ねてこうした作品にめぐりあい、演じることができるのは、俳優にとって大変な幸運であると想像する。

 物語後半であったか、サラが42回めの結婚記念日をひとりで祝う場面がある。夜更けだといのに、おそらく夫のお気に入りだったドレスに着替え、アクセサリーもつけて美しく装ったサラが、蝋燭を灯して赤と白のバラを前に夫の遺影に語りかける。気むずかしい姉の世話に疲れ、心細く不安な心象を吐露するのだが、肉体的に夫を欲していることがそうとう際どい演技で示されていて、ドキリとさせられた。映画でこの場面はなかったのではないか。

 本公演が今年最後の観劇となる方も多かろう。一年の締めくくり、芝居おさめにもふさわしい舞台である。おそらく上演を重ねるにつれて少しずつ変容し、味わいが深まるはず。来年は全国を巡演する由、より多くの人の心にさまざまな波紋をなげかけ、その波紋も柔らかく受けとめて包み込むことだろう。

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