ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

山田錦の里ー常田の地蔵堂の道標

2020年01月15日 05時34分20秒 | Weblog
  

 14日(火)、遠来の客を案内して山田錦の里、加東市東条地域を車で回っているとき、常田で小さなお堂に道標らしき石柱が目に入りました。
 このお堂は、あとで調べてみると地蔵堂で、道標はその建物の後ろの柱のところに建てられていました。表面に刻まれた字を読むと、正面上部に「西国供養」、その下に「右 清水」「左 山道」、側面には「安政七□三月□」と建立年が刻まれていました。安政7年は西暦1860年、今から160年前に建立されたものでした。3月といえば桜田門外の変が起きた頃です。その隣には半分の高さの道標らしき石柱が並べられていました。建立年の「文政十三」がかろうじて判読できます。文政13年は1830年。190年前に建てられたものです。
 このブログではこれまで加東市内の道標を紹介してきましたが、久しぶりに出会った道標でした。
 
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朝日に映える藤田地区のとんどー40年記念

2020年01月14日 05時28分17秒 | Weblog
 

 13日(月)、「成人の日」は朝から青空が広がりまぶしい冬の日が降り注いでいました。9時前、加東市藤田地区の初集会にご挨拶に伺う前に、近くの田圃に組まれた「とんど」を見ました。今年は「40周年記念」と書かれたプレートが飾られていました。
 藤田地区の大とんどは堂々たるとんどです。地区の子供会の行事として始まり、当時、若かった子供会役員の親がそのままお祖父さん世代になっても、とんど大会の準備を続けて伝統文化を守り伝えてきたと聞いています。地区の老若男女が集まり、餅を食べながら、とんどを楽しまれます。書き初めを炎にかざして高く舞い上がるたびに「おお!」と喜びの声があがったり、竹の先に餅をさしてとんどの残り火で焼いたり、炭を持ち帰ったり、とまさに伝統文化満載のとんどです。朝日に映える大とんどを見ながら、燃え上がる炎と火の粉を想像しました。
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とんどー上三草の田圃の中に

2020年01月13日 05時16分35秒 | Weblog
 12日(日)、加東市「新成人の集い」に出席したあと、車で走っていると、上三草の公民館北隣の田圃の中にとんどが組んでありました。
 市内の各地区では、14日、あるいは連休最後の13日あたりに「とんど」が行われることでしょう。注連飾りをとんどで燃やします。その火に持ち寄った書き初めを掲げて火の粉と一緒に高く上がれば字が上達すると小さい頃から慣れ親しんできた行事です。お持ちを焼いて食べると風邪を引かない、炭を持ち帰って竈の火に使うとか、このとんどには小さい頃の懐かしい生活や文化の思い出が繋がっています。こんな「とんど」を経験しながら成長する子供達は幸せだと思います。
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上組の屋台の雄姿-懐かしい一枚

2020年01月12日 05時22分58秒 | Weblog
 捜し物をしていて、机の中から一枚の写真を見つけました。佐保神社の秋祭りの写真ですが、私が棒端の役をしていた頃のものですから、だいぶ前、15年以上前のものだと思います。
 おそらく参道を下向している時のものでしょう。この写真は教え子が撮ってくれたものですが、前をしっかり見ている棒端の顔、帰途についてほっとしている担ぎ手の顔がいいですね。懐しい写真でした。
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令和2年最初の満月が嬉野の台地に昇る

2020年01月11日 04時53分20秒 | Weblog
 

 10日(金)の夕方、神戸から加東への帰り道、東の山の端に大きな円い満月が見え隠れしながら昇っていきました。本当に大きく見えるのですね。信号で停車した時には、前方の電信柱の上にのっかっているようでした。
 加東市の嬉野台地まで戻ってきた時には、もうだいぶ高く昇っていました。車を止めて、しばらく眺め、カメラのシャッターを押しました。
 令和2年最初の満月。雲にかかりながら、遠く、三草山の上、手前の嬉野台地の田圃の上に満月は昇っていきました。
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夜明けの街景色-街灯の筋と朝日を浴びる関電タワー

2020年01月10日 06時01分09秒 | Weblog
 

 朝、まだ明けやらぬ時間帯に歩き出し、ぐるっと回って帰り着く頃には朝日の濃い光が街の建物に射しています。その景色を見ながら、今日も一日が始まる、がんばろうという気力が湧いてきます。
 社中央公園から商店街の銀座通りの球体の街灯と、緑の歩行帯のある道路が浮かびあがっています。もう一枚は朝日に映えて、まるで現代の「城」のように聳える関電の建物と鉄塔です。
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庭のヒヨドリ-ツバキの枝に

2020年01月09日 04時55分57秒 | Weblog
 7日の朝、ふと庭で動くものに目が止まりました。ヒヨドリでした。いつもの柿の木の枝ではなく、ツバキの枝に止まっていました。そして、いつもつがいでやってくるのに、と思っていると、一鳴きして飛び去るともう一羽も飛んでいきました。やっぱりつがいで来ていたのでした。
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日の出前の状が池-吉田忠左衛門ゆかりの池

2020年01月08日 05時19分28秒 | Weblog
 7日(火)は、朝から雨になりましたが、日の出前の午前6時30分頃にはまだ雨の気配も感じられませんでした。社市街から加東市役所、国道を渡り、状が池の堤の遊歩道を歩いていると南東の空の雲が赤みを帯びてたなびいていました。
 状が池は、元禄時代に赤穂藩の加東郡代だった吉田忠左衛門が監督をして築いていたのですが、完成間近の元禄14年3月14日、主君の浅野内匠頭が江戸城松の廊下で刃傷事件を起こしたと、赤穂から「状」(手紙)が早馬で届けられ、吉田忠左衛門は、すぐに赤穂に引きあげました。その後、村人たちは池を立派に完成させ、この池を「状ヶ池」と呼ぶようになったと伝えられているとのです。社町時代に、学園都市にふさわしい「状ヶ池公園」が造られました。
 7時30分、登校見守りに立つ頃には雨が降ってきました。冬の朝の雨の前の状が池の朝に風景でした。
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霧の朝、ため池にシラサギ

2020年01月07日 04時57分59秒 | Weblog
 

 6日(月)の朝、一面に霧が立ち込めていました。社の市街地を歩き、家原観音寺の門前、赤岸の池のところまで来ると、池の中に一羽のシラサギがいました。
 足を止めてじっと見ていると、長い首を前に突き出し、足を一歩前に出しましたが、あとはそのまま動きません。水面にその姿が映っていました。冬の朝のため池の景色です。
 
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山国源ヶ坂からの夕景-遠く小野方面に沈む夕日

2020年01月06日 05時24分55秒 | Weblog
 

 5日(日)の夕方、国道372号を走っていると、ちょうど夕日が南西の地平線に沈むところでした。ふと、夕景を眺めることにし、脇道へ入り、見晴らしのよい、加東市山国の源ヶ坂を上りきった辺りに車を止めました。
 まさに夕日が沈んだ直後で、地平線に近い雲の縁が黄金色に輝いていました。源平合戦の前哨戦となった三草合戦で、逃げる平氏を追って社まで兵を進めた源義経が陣を張ったあと、一ノ谷方面に向かうときに通ったという伝承がある源ヶ坂。830年余り前に源平の兵が見た夕景もこのような景色だったのでしょうか。
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ため池の夜明け-北播磨の景色

2020年01月05日 05時17分46秒 | Weblog
 

 朝日といえば、山や海に昇る景色が浮かぶのが日本の普通でしょうか。正月から富士山や海の初日の出が紹介されていました。
 ここ、日本一のため池地帯の播磨では、ため池に昇る朝日、沈む夕日の景色がいいんです。私はため池派です。初日の出は加東市山国の王子ヶ池で拝みます。4日の朝は、加東市社の環状線の松尾との境にある大池で日の出を拝みました。南東の山国の神社の杜にまばゆい光を放ちながら昇る朝日と手前の大池の池面に映える朝雲と空。しばらく眺めてしまいました。
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万両の実を食べに来たヒヨドリ

2020年01月04日 05時24分51秒 | Weblog
 

 元旦の午後、ふと窓の外に目をやると、ヒヨドリの姿がありました。すぐ間近だったのでカメラを手に取ってしばらく見ていました。
 すぐそばの万両の赤い実を食べにきているようでした。あっちを向いたりこっちを向いたり、忙しく動きながらも静止のときもあり、時には目が合ったような瞬間もありました。
 毎朝、つがいでやってくるヒヨドリなのかどうかは分かりませんが、冬の間の食べ物さがしも大変でしょう。ゆっくりどうぞ。
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令和時代正月2日の佐保神社

2020年01月03日 05時01分31秒 | Weblog
 

 正月2日、氏神様である佐保神社(加東市社)に家族と初詣をしました。空はきれいに晴れて、境内には明るい冬の日がふりそそいでいました。
 社の町の名の由来となった佐保神社。江戸時代には佐保社村と呼ばれていたとも。瑞神門を
くぐると、広い境内に舞殿、拝殿、本殿がまっすぐに並んでいます。境内の一角に鐘があり、除夜の鐘が鳴りひびきました。境内には、恵比寿神社、稲荷神社はじめ小宮が並んでいます。わが町内でお守りしている御大神宮さんもその一つ。本殿にお参りしたあとは、この御大神宮さんにお参りします。家族で写真を撮りました。今年一年が穏やかで健やかな一年となりますようにと祈りを捧げました。
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令和最初の初日-加東市山国の王子ヶ池の堤で

2020年01月02日 06時57分44秒 | Weblog
 

 令和2年1月1日、令和時代最初の初日の出を加東市山国の王子ヶ池の堤で拝みました。すでに十数人の人が堤に立って、南東の方向を黙って見つめておられました。
 午前7時30分頃、低く垂れた雲の帯の下、目の前に広がる池面の向こうの地平線が一ヶ所だけ切れた地点にぱっと光が射しました。令和2年の初日の出です。地平線と池面に初日の光が広がり、それは神々しい光景でした。カメラのシャッターを押し、静かに手を合わせて拝みました。
 ふり返ると、嬉野の台地、遠くの五峰山が初日の光を受けて輝いていました。令和2年の生命が吹き込まれていくようでした。
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令和元年の除夜の鐘、そして2年の初詣

2020年01月01日 08時00分42秒 | Weblog
 

 31日(火)の大晦日。毎年、除夜の鐘を持寳院(加東市社)で撞くことにしています。いつもの友人と連れだって山門に着くと、すでに20人ほどの人が列をつくって待っていました。しばらくすると、ご住職の話があり、除夜の鐘の響きで身も心も浄めて下さいと。山門の上の鐘を垂らされた紐を下に引っ張って鐘を撞きます。
 境内の大師殿にお参りをすると、ご住職が祈りを捧げておられました。護摩木を供えて家内安全を祈りました。まだ、新年は明けていません。
 新池から若宮さんを通って、佐保神社へと歩きました。境内の鐘が撞かれています。そして、境内から瑞神門、参道まで長い列ができていました。例年に比べて人出が多いように感じました。令和の新時代になって初めての初詣。懐かしい人との出会い、新年の挨拶が待っている間の楽しみです。本年が安全で健やかな一年となりますようにお祈りをしました。
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