ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

日の出前の状が池-吉田忠左衛門ゆかりの池

2020年01月08日 05時19分28秒 | Weblog
 7日(火)は、朝から雨になりましたが、日の出前の午前6時30分頃にはまだ雨の気配も感じられませんでした。社市街から加東市役所、国道を渡り、状が池の堤の遊歩道を歩いていると南東の空の雲が赤みを帯びてたなびいていました。
 状が池は、元禄時代に赤穂藩の加東郡代だった吉田忠左衛門が監督をして築いていたのですが、完成間近の元禄14年3月14日、主君の浅野内匠頭が江戸城松の廊下で刃傷事件を起こしたと、赤穂から「状」(手紙)が早馬で届けられ、吉田忠左衛門は、すぐに赤穂に引きあげました。その後、村人たちは池を立派に完成させ、この池を「状ヶ池」と呼ぶようになったと伝えられているとのです。社町時代に、学園都市にふさわしい「状ヶ池公園」が造られました。
 7時30分、登校見守りに立つ頃には雨が降ってきました。冬の朝の雨の前の状が池の朝に風景でした。
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