関節鏡手術は最もよくある手術(2018年度は244頭だった)なのだが、あまりによくやるのでかえって記事にすることが少なかった。
特殊な手術でもあるので、講義・講演・実習に呼ばれても詳細に説明することはない。
聴く人が arthroscopist になることはまずないだろうから。
しかし、ニーズが多い手術なのだから、内容を知っておいてもらう必要はある。
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この競走馬は橈骨遠位外側の骨折で馬産地へ帰ってきた。
おかげで私は左右を間違えたこともないし、対側肢の病変を見逃したことはない。
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橈骨遠位の外側が折れている馬は、中間手根骨も折れていないか注意が必要。
この部位はX線撮影で診断しにくい部位なのだ。
昔、関節切開で手術していた頃には見逃していたのかもしれない。
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メインの橈骨遠位外側の骨折部。
広く関節軟骨が失われている。
この馬は、一度の衝撃で偶発事故として骨折したのではなさそうだ。
競走すると、この部分が損傷してしまう馬のようだ。
McIlwraith のエレベーターを入れて、骨片を剥がす。
くっついている骨を剥がしているように思われるかもしれないが、健康な骨ならヒトの力で割ったり剥がしたりはできない。
損傷しやすい部分なので残しておいても必ずまた割れる。
腕節内の骨折で温存を選択しても予後は良くない。
ある程度はがしたら、私は側面や関節包側から骨片を起こすようにしている。
そのことで骨片が関節包にもぐり込みにくいし、切れるべきところで関節包と切断されやすい。
ロンジャーで掴んで摘出する。
私はできるだけ小さいロンジャーを操作することを好む。
扱い易いし、強引なことをせず、小さい病変を扱いやすい。
関節に開ける器具孔は必要なだけ広げておく。
骨片がひっかかって皮下にとどまると探し出すのに手間取ることがある。
骨折母床は崩れた海綿骨を鋭匙で削る。角がないようにトリミングする。
軟骨の端は垂直に切り落としておく。
実験した馬外科医が居て、関節の中に軟骨の屑をいれてもひどい関節炎は起こさなかったが、海綿骨の屑を関節内に入れたら骨関節炎が起きたそうだ。
手術後に海綿骨がボロボロ崩れることは最小限に抑えたい。
中間手根骨の骨片もエレベーターで起こしておいて、ロンジャーで取り出す。
この部分も骨片だけでなく、橈側手根骨と接触する部分まで傷んでいる。
だから掻爬したあとはこうなる。
これらの損傷部は前腕手根関節の外側なのだが、かならず内側部も観察する。
この競走馬は内側には骨折もなく変形性関節症の所見もない。
関節鏡下での操作が一段落したらX線撮影する。
骨片が摘出できたこと、破片が残っていないことを確認する。
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これだけ関節内を詳細に観察できるのは関節鏡手術ならでは。
かつて関節切開でやっていた頃はとてもここまでの観察、評価、処置はできなかった。
関節切開しかできなかった時代を知っている最後の世代として書いておく。
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やはり司馬遼太郎師は素晴らしい。
最後の将軍、徳川慶喜がどのような若者で、どのように徳川幕府を終わらせ、どのように明治を過ごしたか。
日本を分裂させなかった英雄か?
勝てる戦いでも決断しなかった臆病ものの日和見主義者か?
いずれにしても徳川幕府という政府が古過ぎる体質で、一人の力ではもうどうにもならなかったのは間違いなさそうだ。
最近の記事は大盤振る舞いですね。
手術はしない獣医さんも興味津々かと。こだわりにも根拠。それが古臭くなく普遍だし、各持ち場に何かしら反映しようと思えばなお興味深いかと。
「ビビリじゃなくて平和主義」と書かれたわんこTシャツあったけ。
司馬遼太郎の徳川慶喜、今描いているイメージと違うんだろな。
やっとお日様!冬らしくなってきたこの頃。
馬主、調教師、担当獣医師、その他の関係者の理解が進むことで無事に復帰し、長く活躍する馬が増えて欲しいと思い、記事にしています。
徳川慶喜に私欲はあったのか?日本という概念があり、海外列強から守らなければいけない、という意識はあったのか?知りたいところです。
理解を得る必要があるのは内部事情ではないですかね苦笑トレセンで施術せず帰ってくる理由はどの辺にあるのでしょう。
何はともあれ機材を更新する根拠となるぐらいの収入があり、次世代が養成されることは素晴らしいことです。
その価値が見いだされた根源は前世代といいますか、創始になりますよね。
そこの朝令暮改を理解するのは大事なのだろうと思います。
戦国時代の私利私欲の極致が徳川家で、鎖国という価値観の固定化とそれに従順することで思考停止する各大名の判断を一元化により長期政権が維持されたのでしょう。
幕末に価値観は二分化していたと思うのですが、慶喜さんは思考停止の末に片方の価値観を放棄しただけですよね。
私欲がないですとか分断しなかったとは違うのかなと思います。
価値観を奪われた民衆はもはや偶像崇拝と化して宗教弾圧と同じエネルギーで排除されていったのでしょう。
この辺の落としどころを探して頑張った西郷隆盛さんや坂本龍馬さんも結局排除されているわけで、維新側も共和的ではないのだろうと思います。
不勉強ですが、個人的にはそう思います。
日本で馬飼いが転戦を繰り返した歴史も編纂すれば幕末と同じくらい興味深い話になると思いますよ。
技術者の見地から風土や社会背景を解釈してだれか書かないものですかね。
かつての関節切開による手術ではここまで見えなかった、できなかった、ことも私の世代がきちんと言い残しておかないとなりません。
徳川慶喜は、やったこと、そのやり方、はともかくとして才能にあふれた優秀な人だったようですよ。思考停止なんてとんでもない。
結果的には明治維新の功労者の一人だと思います。ただ、私利私欲はなかったのか、自分や徳川だけをまもりたかったのか、日本を分断したくなかったのか、今となっては勝手に想像するしかありません。
責任とれる人が施術するべきで、それはより走らせる人に近いところなのではないかなと思います。
hig先生に功労者と思わせてしまうところが立ち回りなのでしょう。
しかし払い下げの武器を持ち込んだ海外商人に仕掛けられた代理戦争による植民地的分断は避けられたのかもしれません。
西洋による極東分断の第一号になっていたら国としてはおろか美しい文化などもはや存在せず、国家というより民族主義が蔓延する地帯になっていたのかもしれませんね。
徳川慶喜の一番の功績はそこでしょうね。悪あがきしていたら欧米に割譲されていたでしょう。フランスから借金して戊辰戦争を戦うこともできたのにそれはしなかった。幕府薩長とも、最低限の節度を持っていたと思います。
今の政治家にそれがあるか?まで想いを馳せるのは行き過ぎでしょうか?
IRを造りたくて中国企業から賄賂をもらう政治屋さえいるのですからね。