真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「日本残虐女拷問」(昭和52/企画・製作:新東宝興業株式会社/配給:新東宝興業/監督:山本晋也/脚本:中村幻児/撮影:柳田友春/照明:秋山和夫/編集:中島照雄/音楽:森あきら/助監督:原一男/演出助手:旦雄二・平川弘喜/撮影助手:加東英樹・徳山久男/照明助手:花村三男/効果:創音社/スチール:田中欣一/結髪:㈱丸善かつら/衣裳:富士衣裳㈱/着付:堺勝朗/小道具:高津映画装飾㈱/タイトル:ハセガワプロダクション/車輌:徳川善之助/録音:ニューメグロスタジオ/現像:ハイラボセンター/出演:南ゆき・橘雪子・今泉洋・深野達夫・滝新二・久保新二・峰瀬里加・長谷恵子・松浦康・堺勝朗・渚りな・国分二郎・港雄一)。出演者中、渚りながポスターには渚リナで、滝新二は本篇クレジットのみ。撮影の柳田友春は、“大先生”柳田友貴の元名義。「残虐女刑史」(昭和51)の柳田一夫も、多分同一人物ではなからうか。
 「あたし女子《をなご》のことでよくは存じませんが」、「天子様が徳川様をお討ちあそばして京より江戸に僥倖され」云々と、橘雪子のナレーションで明治維新から西南戦争までの流れをザックリ俯瞰。西郷輝彦御馴染の肖像画に、ベシャッと血飛沫通り越して血糊に近い血量を飛ばした上で、笠間しろうの責め絵にタイトル・イン、ラロ・シフリン的な劇伴が勇壮に鳴る。クレジット明けは「あたし名前は珠と申します」、十六で品川宿に奉公に出された洋妾“ラシャメン”―今でいふ洋パン、今?―のお珠(橘)が、客らしからぬ益田誠一郎(深野)と情を交す。中途で滝新二が引く―人―力車で移動する、のちの第二代内閣総理大臣、当時参議陸軍中将の黒田清隆(今泉)を益田が藪蛇に襲撃する長閑な修羅場に、今でいふ巡査の邏卒(久保)が駆けつける。ここで邏卒がアテレコ(主なんて知るか)で、最初は本当に久保新二なのかと激しく面喰はされるが、お珠篇ラストの凶悪なアップを窺ふにドス黒いドーラン越しの顔は辛うじて久保チン?正直半信半疑。黒田は妻のかね(南)―実際には清“せい”―と致す一方、要は羞恥プレイの趣向でお珠を呼ぶ。ところが頑なに応じないかねに泥酔した黒田が激昂、手討ちにする。頭のおかしなシークエンスがグルッと一周して突つ込んだ清々しさから、なほ勢ひ衰へずもう一周して矢張り頭おかしい。常駐してゐるのか、即座に飛び込んで来た邏卒はお珠が賊を手引きしかねを殺害した形でテッキパキ事件を処理、お珠を拷問する。何が何だかクラクラ来るけど、要はさういふ映画なんだ。邏卒が山芋を塗りたくつたガラス棒でお珠を責めると、外圧に負けたガラス棒が観音様の中で破裂してお珠は死ぬ。明治十一年(1878)、三月二十八日のことだつた。ちなみに益田のバックボーン―ならびに去就―と、お珠との関係に関しては見事なまでに等閑視される。
 配役残り、峰瀬里加は足抜けを図る女郎のお美津で、堺勝朗がお美津が奉公する廓の主人・長兵衛。繰り返し名前を呼ばれるおまつ以下女郎部が数名見切れるも、演者を特定可能に抜かれはしない。松浦康がお美津を捕まへ廓に連れ戻す、クレジットには巡査とあるが、劇中ではこちらも邏卒のキジマ。キジマがお美津を責め殺した十三年後、といふのは直後に後述するお美代のナレーションからで、本当は十六年後でないと計算が合はない。一旦さて措きお美津が死んだ当時三歳であつた娘のお美代(長谷)が、母の遺した年季を務めるべく長兵衛の廓に奉公に入る。手篭めにされかけながらも、乳尻は死守するお美代が長兵衛に対してはお美津の仇を討つものの、駆けつけたキジマには殺される。お美津が生まれたのは明治十一年三月二十八日で、お美代が母の命日と同じ日に死んだのが、大正七年(1918)五月七日のことだつた。
 配役残り引き続き、次なる舞台は張作霖爆殺(昭和三年/1928)後の満州。スレンダーなチャイナドレスが平成すら通過した令和の目からもエクセレントな渚りなは、国民党の女兵士・桯少玲。日本名は小鈴で、1918年五月七日生まれ。港雄一は内通者の名前を吐かせようと少玲を拷問する関東軍の野山憲兵曹長、国分二郎が上官の田沼少尉。もう一人、少玲と田沼の再会を賑やかす、宿で小鈴を追ひ回す軽く川崎季如似のへべれけな髭は不明。
 こんちこれまた、“懐かしの新東宝「昭和のピンク映画」シリーズ!”が放り込んで来た山本晋也昭和52年第七作。明治・大正・昭和の三時代を通して、女をあくまで商業的な煽情性の範囲内で嬲るのではなく、残虐にデストロイして命を奪ふ。何でまた斯様な代物がこの頃量産されてゐたのか、ピンクだポルノだいふよりも絶叫と鮮血とに毒々しく彩られた、片足どころでなくショック映画に突つ込んだ狂ひ咲くにもほどがある徒花。観てゐて何が楽しいのかサッパリ判らないが、終に判らないまゝ無為な一生を儚くもなく終へたとて別に困りはしない。折角各篇主人公の生没を輪廻転生ぽく繋げた割に、その趣向が特にこれといつた大河ロマンに結実する訳でなく。男尊女卑がバクチクする家父長制なり性を搾取する機構なり侵略的な軍部なり、女をブルータルに圧殺する体制へのたとへば政治的なプロテストを今作から看て取らうといふのも、ためにする曲解に過ぎないのではあるまいか。女があげる悲鳴さへあれば、乳尻は別に要らない。ある意味筋金入りの御仁にとつては、恐らく文句なく甘美な一作。当サイトは直截に筆を滑らせるとサドマゾは好きだが、オーバーランしたスラッシュは御免蒙りたい、壊してどうする。正味な話棹の勃て処にも窮する中、月が太陽を食ひ尽くす、皆既日蝕の如き様相を裸映画が呈する。封建主義が板につく今泉洋に、悪代官と越後屋のポジショニングの松浦康と堺勝朗。苛烈な暴力の嵐を吹き荒らす港雄一と、日々尋常でない量の精液を生成してゐさうな国分二郎。本来メインの女優部に勝るとも劣らない、久保新二?をも霞ませる案外豪華な男優部のオールスターぶりに、旧き来し方を眩く懐かしむか惜しむ。詰まるところ世辞にも建設的とはいひ難い感興を、ついつい覚えてしまふのも禁じ得ない、貴様それでも保守か。オーラスは少玲のナレーション略してショーレーションで、「殿方が幾ら女子を苛め殺したところで安心なさいますな」。中略して「なんせ女子といふもの、子袋といふ血の海の中で物事を考へてをりますからな」、とか形ばかりの復権といふか逆襲の機運を覗かせてみたりもしつつ。結局強い印象を残すのが、特濃な男達であつては如何なものか。

 最後に、数字のちぐはぐについて。繰り返すと母娘銘々のナレーションで語られるお美津の生年月日とお美代の没年月日が、それぞれ明治十一年(1878)三月二十八日と、大正七年(1918)五月七日。ミネレーションによればお美津は二十四でキジマに惨殺されてゐる筈なので、お美津の没年月日は明治三十五年(1902)五月七日。さうなるとハセレーションのいふ“十三年後”が、どうしても計算が合はない。ついでで大正七年五月七日に生まれた少玲が野山に責められた末田沼の前で自害を果たすのも、渚りなを見た感じその間田沼の階級が変らなかつた、張作霖爆殺の少なくとも十年は後といふのも些かならず間が空いた感は否めず。


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