真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「女教師 秘密」(昭和53/製作:日活株式会社/監督:白鳥信一/脚本:鹿水晶子/プロデューサー:細越省吾/撮影:畠中照夫/照明:田島武志/録音:福島信雅/美術:川船夏夫/編集:井上治/音楽:A・ビバルディ 演奏:水谷ひさし・キングレコード「ロック・四季より/助監督:山口友三/色彩計測:村田米造/現像:東洋現像所/製作担当者:沖野晴久/出演:山口美也子、原悦子、砂塚秀夫、絵沢萠子、石太郎、高橋淳、川島めぐ、あき・じゅん、高橋明、西真琴、滝沢淳、萩原徹也、千葉泰子/技斗:田畑善彦)。音楽の水谷ひさしは、前年解散したex.コスモスファクトリー。
 部屋の大きさに不釣り合ひな、馬鹿デカいベッド、事後の。何とか学園英語教師の山川ひかる(山口)が、夫で同じ高校の体育教師・久志(石太郎/ex.岡田洋介/a.k.a.槇健吾)に、久志の不義を理由とする離婚を何度目かで切り出す。それでもこの御二方、夫婦生活は成立するのね。風呂に立つたひかるが観音様を入念にお清めしてゐると、ズンチャカ藪から棒に「ロック・四季」が起動して暗転タイトル・イン。但しこのタイトル画面、急に画調が変るのがオリジナル版か否か疑念が脊髄で折り返すのは、節穴の穿ちすぎであらうか。
 明けて校舎の外周りから、テストを執り行ふひかるの授業。真面目に取り組む気のまるでない、白紙の答案を見咎められた吉村麦平(高橋)はひかるに対し、和訳を求められた解答欄で“I LOVE YOU”と求愛。そのメソッドは果たして、アリなのかナシなのか、ねえだろ。さういふ二人に十時の方向から、森山解子(原)が恨めしげな視線を投げる。今回大明神の、隈が常にも増して濃い。
 配役残り、川島めぐは教室で麦平の右隣、解子の前の席のオカジマ信枝。同じやうなルックスが特定を阻む滝沢淳と萩原徹也は、麦平らとツルむ弘と正夫。ナンシー・アレンみたいな頭の千葉泰子は信枝の友達・由美、西真琴が大好きな大好きな解子ちやんに煙たがられる、不憫な虎雄。以上七名のネームド生徒のほか、四十人前後は優に賄ふ、潤沢な生徒要員が投入される。あき・じゅんが、久志の浮気相手で元教へ子の琴子。石太郎なり高橋淳より、高いビリングに座るのが正直違和感も否めない砂塚秀夫と絵沢萠子は、麦平の父親で蕎麦屋「大黒」の大将・浅吉と、登場順的には最後の、若い間男と出奔してゐた母・頼子、地味に壮絶なタイプキャストが清々しい。その他琴子が働く飲み屋と、後述する高橋明とひかるが出会ふ店に、十余人の頭数―とあの男!―が見切れる。と、ころで。川島めぐとオバパーのオッカサンはおろか、絵沢萠子も不脱の意外とオーソドックスなメイン女優部三枚態勢。
 よくよくex.DMMを探してみるに何故かサブスクに入つてをらず、バラ売りでしか見られなかつた白鳥信一昭和53年第三作、「女教師」シリーズ第二作。こゝで、無印第一作「女教師」(昭和52/監督:田中登/脚本:中島丈博/原作:清水一行/主演:永島暎子)分は妙に詳細なウィキでフライング、全九作を通して最多は誰が何本出てゐるのか戯れに数へてみたところ。第四作「女教師 汚れた放課後」(昭和56/監督:根岸吉太郎/脚本:田中陽造)と第七作「女教師狩り」(昭和57/監督:鈴木潤一=すずきじゅんいち/脚本:斎藤博)に、第八作「襲はれる女教師」(昭和58/監督:斉藤信幸/脚本:桂千穂)。三度主演を務めた風祭ゆきを筆頭に、色男常連の影山英俊と北見敏之。時にはノンクレで電撃の一幕・アンド・アウェイを敢行する、高橋明や水木京一でさへ風祭ゆきに並ぶ三作がやつと。監督が全て異なるのも起因するのか、油断してゐると皆勤しかねない勢ひで、五本六本とレギュラーを張る置き物的な猛者は案外ゐなかつた。寧ろ、庄司三郎の名前が何処にも見当たらない点が、逆に側面的な特色とすらいへるのかも知れない。
 とつとゝ自分から出て行けばいゝひかると、何故か大人しく渡りに船しない久志。ある程度の合意に基づきサクッと別れてしまふに如くはない、山川夫妻がにも関らず婚姻関係をちんたら継続するところの方便ないし所以に、兎にも角にも理解に苦しむのが最初の起爆装置。焼けぼつくひに再点火する火種として、ひかるが麦平を弄ぶ。虎雄を疎ましがる返す刀かものの弾みか、出し抜けに麦平への岡惚れを拗らせる、解子が看破した認識の方が余程呑み込むに易い。藪から棒に竹を接ぐ、破瓜の件には大時代的な青春映画が俄かに狂ひ咲きながらも、所詮は枝葉を飾る花。解子が苦痛に歪ませる、口元のカットに赤々としたフィルターをかけるプリミティブがグルッと一周するスーパー演出にも、確かに度肝を抜かれはした。と、はいへ。要はヌキ終へるやケロッと素顔を曝す、扮装自体の無意味さにも軽く拍子を抜かれる、ストッキングで武装した麦平が、山川家にひかるを急襲する一幕。の場面一転、サムウェア飲み屋。一人飲みしてゐたところ声をかけて来た男・近藤(高橋)と、ひかるが出奔する驚天動地の結末には度肝どころか尻子玉を抜かれた。いや、だから重低音をバクチクさせる、かといつて絡みにはいふほど長けてゐる訳でも別にない高橋明なんだけど、誰よそいつ。腐れ縁の配偶者でもある意味初心い教へ子でもなく、何でまた締めの濡れ場で女教師を介錯するのがポッと出の謎オッサンなのよ。挙句一時間を跨いで大黒に頼子が帰つて来たりと、ラストは割と画期的なレベルでガッチャガチャ。さう、なると。木端微塵に爆散したとて決しておかしくない一作を、徳俵一杯で救ふのは。「誰か待つてんのか?」、近藤がぞんざいな第一声をひかるに投げたカウンターの中にて、山口美也子と高橋明の背中側にカメラ位置が変ると、バーテンダー役の小宮山玉樹が詰まらなさうな顔でグラスなんて磨いてゐたりするのが完璧にして超絶のコミタマ仕事、ベストに蝶ネクタイが似合ふ似合ふ。壮大な蛮勇を以て曲解から牽強付会にギアを捻じ込むと、恐らく展開の無理を自覚した白鳥信一が、影の千両役者投入で超飛躍の固定ないし緩和を謀つた、もとい図つたにさうゐない。とまれ小宮山玉樹こゝにありをさりげなく叩き込む、慎ましやかな一撃必殺こそ今作の白眉。黙した小宮山玉樹がバーテンかウェイターでシレッと、でもない何気な存在感でフレームの中に自らの居場所を確保する。それが豊潤な沃野なのか、不毛な荒野なのかは一旦さて措き。量産型娯楽映画ならではの数打つその先で、数打ち倒した果てに初めて辿り着く、ひとつの地平をこそ最も貴びたい。心配御無用、明後日か一昨日な与太を拭いてるのは承知してゐる。

 当時的には未だ斬新なモチーフたり得たのか、“Bitch”といふ英単語の無闇なフィーチャーに、甘酸つぱい微笑ましさ通り越した居た堪れない小恥づかしさも禁じ難いのは、流石にこの期の視座からそれをいふても仕方がない。


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