真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「若妻後ろから開く」(1989/製作:株式会社メディア・トップ/配給:新東宝映画/監督:渡辺元嗣/脚本:双美零/撮影:稲吉雅志/照明:守田芳彦/編集:酒井正次/助監督:カサイ雅弘/監督助手:松本憲人/撮影助手:田中一浪/照明助手:小田求/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:大沢裕子・伊藤清美・川奈忍・芳田正浩・山の手ぐり子・山本竜二)。監督の渡辺元嗣は、勿論現在渡邊元嗣。
 俯瞰気味のロングで住宅街を抜いた画に、VHS題は大沢裕子を冠するタイトル開巻。玩具デザイナーの神崎聖吉(芳田)と花子(大沢)の若夫婦が、花子の母が生前暮らしてゐた長屋に越して来る。引越しも一段落、その他二人の業者作業員含め四人前注文したにしては、聖吉の蕎麦がない。すると、もといするてえと長屋の隣人・草加千平(山本)が、勝手に上がり込んで聖吉の分の蕎麦を食べてゐた。下町風情とやらでワイワイ一笑に付す千平と花子に対し、山手育ちの聖吉は憤慨気味に辟易する。その夜、下町の人間関係を図々しいと気さく、一方山手はといふと礼儀正しいとよそよそしいと、好対照に対立する夫婦喧嘩を軽く噛ませて、兎も角新作の作業に取りかゝるかとしたタイミングで、隣から洩れ聞こえて来るどころでない嬌声に聖吉は頭を抱へる。
 出演者残り川奈忍が、そんな千平の同居人。山竜と川奈忍の濡れ場がアラビア~ンな劇伴で火蓋を切り、二人して洋ピン的なメソッドを多用するのはこれまた藪蛇な演出だなあ、と生温かい心持ちで見てゐると、後述する伊藤清美の顔見せ等諸々挿んでの結構後々発覚するのが、川奈忍は独立したての小国・ヤカマシカから日本にやつて来た、ヤーデ・カセギーノとかいふ吃驚配役。とはいへ川奈忍のビジュアルを一欠片たりとて弄るでなく、映画の嘘を真面目につかうとする素振りさへ窺はせない。伊藤清美は、聖吉が勤務する「ドリームメーカーおもちや設計会社」―何かザックリした社名だ―の同僚・花園美沙、バツイチ。花子との衝突を拗らせ、遂に家を出た聖吉を自宅に招く際の口説き文句が、「冷静になるまで、ウチに泊まつてもいいのよ」、どうスッ転んでもなれねえよ。前述した引越作業員に加へ、千平のMCによるヤーデのセーラー服ショーの観客要員に、草加宅を飛び出したヤーデの、一発一万をまるで取り合はない男達、十人弱その他見切れる。ん、まだもう一人ゐる?暫し待たれよ。
 コッテコテした下町人情譚かに思はせて、思ひのほか豪快に舵を切る渡辺元嗣1989年第五作。話は変るがデビュー順に今上御大・小川欽也、浜野佐知に大きく間を空けてナベと、同年時間差の関根和美。以上四監督が、昭和・平成と来年人為的に幕を開けるその次。ピンク映画を三つ元号を跨いで撮るといふ何気に馬鹿にならない偉業を、案外何時も通りに成し遂げる、予定である。流石に、新田栄なり深町章らが大復活する芽はもうあるまい。
 閑話休題、川奈忍の吃驚配役が明らかとなる川原に於けるピクニック―あるいは酒盛り―の件で起爆装置が地表に露出する、大団円に何だかんだを通して辿り着く。ものかと、思ひきや。ところで今作のスピードポスターに勇ましく躍る惹句が、“男一人に女が三人!君ならどうやつてヤル!!”。男一人対女三人の絡みが盛り込まれる場合、劇中どう見ても男一人といふのは千平、聖吉はさういふ柄ではない。かといつて、ヤーデと美沙は兎も角花子が千平と寝てしまつては、壊れかけた神崎夫婦の仲が完全に修復不能にもなりかねない。全体どうする気なのかと、思つてゐたところ。身を引いたヤーデの肩を聖吉が持ち、一方美沙側には花子がつき膠着する神崎家に漸く現れた千平は、顔を煤つぽく黒く汚した第四の女たる、ルンペン女を拾つて来てゐた、これが地味に伊藤清美に感じが似てゐなくもない山の手ぐり子(a.k.a.五代暁子)。この年五代暁子は響子名義で脚本家デビュー、当時はカサイ組の座付的ポジションにあつた。正直この辺りは満足な記録も残つてないゆゑ、最終的には片端から観るなり見た上でないと正確なことはいへないにせよ、この映画が、俳優部時の山の手ぐり子(現:山ノ手)初陣となるのかも知れない。挿入する段を端折るのが激しく頂けない、仲直りした神崎家夫婦生活は完遂直前で、ルンペン女は眠る傍らのヤーデ×千平×美沙の巴戦に移行。目を覚ました山の手ぐり子は、ブラこそ外さないものの、諸肌までは脱ぎ三人の営みに参戦する。のが、パブにも謳はれた“男一人に女が三人!”の真相。四人での生活は長屋では手狭につき、山手の花園宅に千平以下三名が大八車でヨイショヨイショと移り住むラストは、一見何となくまとまつてゐなくもないとはいへ、一体誰が主人公なのかといつた疑問は拭ひ難い。主演―の筈の―女優も差し措いて、山竜が美味しいところを全部カッ浚つてゐる。企画が紆余曲折なり右往左往したのでなければ、そもそも物語の軸を何処にとかいふ以前に、置いてゐたのか否かから怪しい。表面的には賑々しい反面、冷静に検討してみると大いに覚束ない一作である。

 ヤカマシカから渡日し、豊かな大国への憧憬をストレートに表すヤーデに対し、千平は「日本だつて本当は貧しい国だぜ」と苦々し気に投げる。山竜が出し抜けに放つたニヒルが、よもや三十年後には斯くも身に沁みる破目にならうとは。平成元年は兎も角、四ヶ月は大胆に等閑視するとして平成末年、確かに日本は本当は貧しい国になつた。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )