真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「中年男女 一夜限りの不倫」(1994『不倫妻 一夜の快楽』の2007年旧作改題版/製作:飯泉プロダクション/配給:新東宝映画/脚本・監督:北沢幸雄/企画:森あきら/撮影:千葉幸雄/照明:隅田浩行/音楽:TAOKA/編集:北沢幸雄/助監督:増野琢磨・瀧島弘義/撮影助手:片山浩/照明助手:藤森玄一郎/ネガ編集:酒井正次/車輌:高木明/効果:東京スクリーンサービス/出演:吉行由美・西野奈々美・石原ゆり・白都翔一・杉本まこと)。出演者中吉行由美が、新版ポスターでは吉行由実。元版は不明、時期的には多分由美のまゝか。
 手前に海を置いたビル群の遠景に、証明シリーズみたいなカッコいいフォントが飛び込むタイトル開巻、クレジットが追随する。夜の新幹線で出先に向かふ、妙なスケジュールでの一泊弾丸出張を翌日に控へた宮崎博史(杉本)と、共働き―恐らく別の会社―で経理職の妻・典子(西野)の夜の営み。事後自分も抱へた仕事に強行日程を労つて呉れない典子に、博史は子供のやうに不満を覚える。翌日、そんなことならさつさと出張ればいいのに昼間の時間が空いてゐる博史は典子を昼食に誘ふも、呆気なくフラれる。電話ボックスから出て来た博史に、自身も友人との食事を断られた、単身赴任の夫を送り出して来た直後の人妻・白川佳枝(吉行)が声をかける。甚だどころか輝かしいまでに不自然なシークエンスながら、吉行由実が据ゑた膳を喰はない男などゐるものか。結構豪勢なランチの後、博史は新幹線ギリギリの時間まで佳枝を飲みに誘ひ、やがて夜行―列車―で現地に入るテーブルに変更しホテルに入る。だから、博史が昼から夜にかけて半日では済まない時間を自由に使へる、そもそも意味が判らない。
 配役残り、挙句一回戦後風呂で乳繰り合つてゐる内に、博史は夜行の時間も逃す。これが深町章の映画で博史役が山本竜二であつたならば、自由な世界だなオイで済むところが、北沢幸雄の良くも悪くも硬質で生真面目な演出の中では、如何せん抜け落ちる底も感じざるを得まい。兎も角斯くなる次第で石原ゆりは、佳枝の大胆極まりない思ひつきで、巴戦要員に呼ばれるホテトル嬢。強引とスマートの紙一重で戯れるが如き、三番手の放り込みやうは味がある。珍しくオールバックでない白都翔一は、博多転勤の決まつた佳枝夫。佳枝と博史が昼食を摂るレストランにて、背中だけ見切れる中年男なんて流石に全然手も足も出ない。
 新版公開時に観逃してゐたのを、八年の歳月を経て地元駅前ロマンで落穂拾ひした北沢幸雄1994年第一作。最初の公開時からだと二十有余年、さういふ番組が何気なく組まれるピンク映画の環境は、私には極めて感興深いものに思へる。他の道に進んだ者リタイアした者鬼籍に入つた者であつてさへも、小屋の敷居を跨げば特段気負ふでなく日常的普通に会へる。それはそれとしてそれだけのことでしかなかつたとて矢張り貴く、さういふ、時間が流れてゐるのかゐないのだか判然としないやうな場所も、世の中にはあつていいのではなからうか。等々と柄にもなくおセンチな気分になつてしまつたのと、今作は全く関係ない。夫婦生活で幕を開け若干街をウロウロした末ホテルに入つて以降は、各々の夫婦に関する会話も夫婦生活に直結。佳枝と博史が互ひの腹を探り合ふ、正直何ちやない心情を一々モノローグで聞かせる演出は、何事か終盤の大転換に向けての周到に用意された伏線か一種の叙述トリックかと思はせたのは、単なる明後日だか一昨日な深読み。北沢幸雄なりの量産型娯楽映画に於けるポップ感であるのやも知れないが、時折仕出かす他愛なさの枠内より半歩と出ではしない。一夜明けての佳枝と博史の姿はそれなりにセンシティブに描かれてあるともいへ、それも体裁を整へる手数以上のものではなく、濡れ場以外には眉ひとつ動かさない濡れ場要員の濡れ場要員ぶり―結局、石原ゆりはおろか要は吉行由美と杉本まことを除く全員が濡れ場要員だ―がある意味麗しい、裸映画・オブ・裸映画である。女の裸を一時間愉しませて、後には余韻も残さない。その姿勢もそれはそれとしてそれだけのことでしかないにせよ、矢張り尊い。

 序盤博史は計算の早い典子の力も借り、週三回二十年。二秒に一突き一回十分として、三百突×年百四十四回×二十年。生涯残り八十六万四千回のピストンに、そこはかとない無常観を滲ませる。藪から棒な発想といふ以前に、舌の根といふか棹の先も乾かぬ内にそれ以外で一晩中腰を振り倒した次第。人間にとつて精神とは何ぞやと、埒の開かない繰言を考へさせられる。


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