真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「美尻誘惑 公衆便所のいたづら」(1999『公衆便所 私いたづらされました』の2008年旧作改題版/製作:ネクストワン/製作協力:THE PSYCHEDELIC PLASTICRAINS/提供:Xces Film/監督:瀧島弘義/脚本:五藤利弘・瀧島弘義/企画:稲山悌二/製作:秋山兼定/撮影:林誠/照明:多摩三郎/編集:冨田伸子/音楽:齋藤慎一/助監督:羽生研司・野尻克巳・高田亮/照明助手:金森由夫/撮影助手:堂前徹之、他三名/メイク:おかもと技粧/出演:森本みう・嶋田いち子・吉行由実・佐野和宏・森羅万象・浮部文雄・坂井康浩・和戸田智生、他四名/友情出演:工藤翔子)。出演者中、和戸田智生以下は本篇クレジットのみ。
 繁華街を通り抜けた女子高生・みどり(嶋田)が、公衆便所に入る。ひとまづ鏡を覗き込んだみどりが個室へと体を向けると、鏡の中には、長身の女装の男“あいつ”(佐野)の姿が。ここの佐野和宏の見切れ方が絶品、映画全篇の高い強度を予想させる。用を足すみどりは、個室に侵入して来た“あいつ”に犯される。・・・といふ書き出しの、女流作家・高木彩乃(吉行)の自伝的官能小説。和戸田智生は、眺めの格別な高層ビルの喫茶店にて彩乃と打ち合はせする、『文芸サロン』誌の編集者・掘野。綾乃は掘野を前にしながらフと、自らの太股に大勢の手が這ふ幻想を見る。この幻想は、別段なくて構はないやうにも思へる。自宅に戻り、ノートPCで執筆中の綾乃に、文壇の重鎮・玉城(森羅)より呼び出しの電話が入る。物憂げに電話を受ける彩乃、カット変ると、新進作家のミキ(森本)がホテルに向かふ。ミキを出迎へたのは玉城と、『文芸サロン』誌編集長・辻(浮部)に、玉城の書生・荒井(坂井)。ミキは荒井がビデオカメラを回す中、玉城と辻とに抱かれる。業界での地位の確立のために、若い女がその身を慰みものにされるといふ寸法である。主演の森本みう、程好い肉付きには反比例するともいへる少女のあどけなさを残した容貌は、薄汚い男供に蹂躙される可憐な役柄に麗しくフィットする。ミキが自らの姿を投影した綾乃の小説の劇中人物であることは、ファースト・カットから教へておいて呉れて良かつたやうな気もするが。綾乃が玉城に呼び出されてから直ぐにミキが矢張り玉城の下へと向かふゆゑ、幾分混同あるいは混乱を禁じ得ない。かういふ点は、実際に現場で作業に当たる分には判り辛くもあらうが、同時にそこを詰めるのが、娯楽映画に必須とされる論理性なのではあるまいか。
 傷ついた心と体を抱へ帰途公衆便所に立ち寄つたミキは、“あいつ”と遭遇する。意に反してミキから救ひを求められた“あいつ”は、ミキのアパートで二人暮らし始める。
 原体験を持つ作家と作家の小説中の主人公とが、“あいつ”を共有する。求めるものの、終ぞ現し世の地平では“あいつ”と再び邂逅すること叶はぬ作家は、自らの思惑を離れ、“あいつ”と満ち足りた日々を送る小説中の主人公に何時しか嫉妬し始めるやうになる、といふ展開は秀逸。生活感のまるで伴はぬミキと“あいつ”との生活も、メタフィクションであることにより嘘臭さを感じさせない。純化された官能と、幸福感とを美しく醸成する。対して、そんなミキを面白く思はない、女の欲望に激しく飢(かつ)ゑる彩乃のキャラクターには、吉行由実も抜群にハマリ役。“あいつ”をずつと待つてゐるのに、“あいつ”が迎へに来て呉れないのはミキの所為だと、綾乃はいはば逆ギレする。繰り返すが、“迎へに来て呉れない”。さういふ湿つぽく埒は明かず業の深い台詞が、吉行由実には実に様になる。殆ど褒めてゐるのか、貶してゐるのだかよく判らないが。綾乃がミキに試練を与へることにする終盤の転換は、ストレートに盛り上がる。他四名の内二名は、玉城と辻に加へ人数を増してミキを蹂躙する作家先生。ホテルで哀しく“あいつ”に助けを呼ぶミキに対し、俄かにミキのアパートでは、“あいつ”が女装の身支度を始める。すは女装に武装した“あいつ”が、ホテルに乗り込み森羅万象以下五名を血祭りにあげるのか!?といふのは、底の浅い小生の早とちり。そのまま単に昂つただけなのか、何時ものやうに公衆便所に向かつた“あいつ”は、囮捜査官(工藤)に御用となる。他四名の残り二名は、その際登場する男子警察官。
 ミキと彩乃とが“あいつ”を中央に挟んでの、三人のメイン・パートが視覚的にも強靭。妖艶な吉行由実と可憐な森本みうとの対照は、作家と自作中の作家自身を投影した主人公、といふ立ち位置に絶妙に映える。己に具はらぬものをこそ、求めるのであらう。執筆活動を通し女として満たされることを強烈に欲する彩乃にとつて、ここでのいふならば美化は、全く肯ける話である。加へて、一貫して無言のまゝ少々歪みつつも、歪んでゐるからこそなほのことストレートな“あいつ”の色気を銀幕一杯に放散させる佐野和宏も素晴らしい。浮世離れしたミキと“あいつ”の日々に力を与へるのは佐野和宏の質感で、なほかつ、夜空に降る星をミキのために捕まへようとするシークエンスでは、まるで全盛期の大槻ケンヂのやうなピュアな眼差しも見せる。更に今作がピンクとして素晴らしいのは、実用的にも頗る充実してゐる点。男は“あいつ”を相手に、フラッシュ・バックでミキと彩乃が幾度とスイッチする濡れ場には、全体のテーマに即した幻想性と、高いレベルでの即物的な煽情性とが見事に両立する。砂浜での景気のいいロング・ショットは映画的だが、ピンクでは仕方もない安普請にも足を引かれたラストは、確かに少々弱い。そこかしこの細部と詰めとに一練り二練りの余地も残す以上、傑作とまで激賞するには当たらないが、とはいへ十二分に見応へのある力作である。

 ところで。冒頭“あいつ”に公衆便所で強姦される女子高生役の嶋田いち子は、奈賀毬子と同一人物。撮影時期の前後までは判らぬが、1999年当時今作封切りのちやうど一週間後、奈賀毬子としてデビュー作の「アナーキー・インじゃぱんすけ」(監督・脚本:瀬々敬久)も公開されてゐる。因みに、カメオ出演で工藤翔子が囮捜査官といふと、後年「三浦あいか 痴漢電車エクスタシー」(2001/監督:国沢実/脚本:樫原辰郎/主演:三浦あいか)に於いても登場する。


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