閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

空き家

2016-07-09 17:21:27 | 日々

拾った殻。
直径(最大)約50ミリ。

このあいだ見たちびカタツムリとは別の種類。巻き方も逆。
だけど、この感じ、たしかどこかで見たことがある…と思ったら、
去年の秋にも拾っていた。(→これです )
サイズは今回の殻のほうが一回り大きい。

 

どうしても「かたつむり」には「紫陽花」を取り合わせたくなってしまう。
幼児絵本の6月号のイメージが脳内に刷り込まれているらしい。
雨傘、長靴、てるてるぼうずもワンセット。

 

 

20年くらい前になると思うけれど、遠方の大学の学生さんが、
このあたりにカタツムリの採集にやってきたことがあった。
いきなり知らない土地に行って見回しても、カタツムリなんて
小さくて地味で、飛んだりはねたり鳴いたりもしないから、
そうそう簡単にみつかるものではないだろう。
人に聞こうと思ったら意外と人家がなくて困ったらしい。
もう夕方で、おもてで何か探すにはちょっと遅い時間だ。
うちの庭先の桑の木に、ときどき大きいカタツムリがいるので、
「このへんに…」と言いながら見たら、うまい具合にいたから、
取って「はい」と渡した。
学生さんは、きょとんとしたような、ほっとしたような顔で、
それを持って帰っていった。

ずうっと何年も、桑の木の主のようにそこに住んでいたのに、
なりゆきとはいえ、通りすがりの見知らぬ人にあげてしまうなんて、
わるいことをしたと、あとになって悔やんだ。
人は、本能的に、旅人には親切にしてあげたくなるのかもしれない。
研究のお役には立ったでしょうか。
その後、庭の桑は伸びすぎて切ってしまったし、
生きている大きいカタツムリにはもう何年も会っていない。
ただ空き家だけが、こうしてぽつんと残されている。
ああ、まだいたんだ。
いた、という証拠を手にして、すこし安心する。
これが最後の1匹かもしれないと思いながら。
 

 

 

 

 

エキナセア。
花の真ん中に顔を近づけると、良い香りがするのに気づいた。
甘い香りというよりは、化粧品か石鹸にありそうな香り。
ああこれはあれだ!と一瞬思うけれど、あれが何だか思い出せない。
開き具合か、日によってか、天候か、時間帯か、
香りのするときと、あまりしないときがある。 

 

本日のにゃんズ。

黒白クレと、ほぼ真っ黒さんちゃん。
この2匹、ほんとうに仲が良い。
よかったねえ、クレは、さんちゃんがいて。 

 

 

 

 

 

 

 

で、その後のウラシマはどうしたか。
居間のテーブルに4脚ある椅子のうちのひとつを占領して、
昼も夜も、たいていそこで寝ております。
だいぶおなかが満たされ、慌てなくても食いはぐれることはないと
わかってきたのか、前ほどはピーピー叫ばなくなったようだし、
寝姿にも余裕が出てきました。

その椅子からは廊下のゴハン皿が見えるし、猫ドアの出入りも見える。
しかし、あいだにいろいろ障害物があるため、他の猫と
真正面から向き合うことが回避できる、という絶妙な位置で、
動物の本能とはいえ、その選択はなかなか賢い。

さんちゃんもクレも、まだ警戒はゆるめず、近距離で目が合えば
うなるけれど、その距離は徐々に縮まってきているし、
声のボリュームも下がってきている。
警戒には警戒で、敵意には敵意で返すもの。
じゅうぶんな食物と、落ち着ける居場所が確保できて、
安心が敵意を上回れば、争う必要はなくなる。
「ヒトかあさんと、6匹のでかい子猫ちゃんズ」の出来上がり。

とはいえ、そう簡単にいくものではありません。
さんちゃんが猫ドアのすぐ外の縁側にいると、
ウラシマは出ることができない、という問題。
出たら出たで、そのとたん、双方が「子猫ちゃんズ」から
「おとなのライバル同士」の関係に戻ってしまい、
一触即発のガウガウギャウギャウ! …という問題。
平和な世界の実現にはまだまだ時間がかかりそうです。 

きょう、ふと思いついて、ねこじゃらし棒(先住猫どもは
もうあまりじゃれてくれない) を振ってみましたら、ウラシマ君、
すぐ反応して、けっこう夢中になってしばらく遊びました。


 

本日の「いいね!」


トロンプ・ルイユ(だまし絵)

退屈な壁が大変身!
フランスのストリートアーティストPatrick Commecyの作品。

 

コメント
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