閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

罌粟

2015-04-20 14:44:34 | 日々

わあ、また書けない、というか読めない字(笑)

雛罌粟にフランス語で「コクリコ」とルビを振ったりするせいで、
なんとなく「栗」と書きそうになるけど、「粟」です。

「罌」の字をコピペでグーグル翻訳にかけてみると
「小さな口で土製瓶」というよくわからない日本語が出た。
「口のすぼまった形の素焼きの瓶(かめ)」と解釈してみる。
「粟」はというと、これが「Millet」と出る。
画家のミレーはこの綴りだけど、なんで?
まあ、いいや。粟はそのまま穀物のアワと素直に考えておこう。
細かい種子の詰まった実を、貯蔵用の瓶に見立てた命名だろうか。

(ちなみに、milletはフランス語でアワのことでした。
画家のジャン-フランソワ・ミレーは、中国では
「譲-弗朗索瓦・米勒」のような表記になるらしい。
いちいち外野を走り回らせてくれるグーグル翻訳!) 

 

 

ケシはケシでも、ナガミヒナゲシは、あっさりした風情。
畑に勝手に生えて、勝手にひらひら咲いております。 

 

ナガミヒナゲシの「瓶」は、その名のとおり細長い。
ふたのデザインもなかなか。 

 

 

採れたてのタケノコ。
皮の美しさにうっとりする。

 

 

 

 

脱がせちゃうのがもったいなーい(笑)
竹取物語って、タケノコの皮の重なり具合から
お姫様の十二単という連想もちょっぴりあるのではないかしら。
というのは単なる妄想です。 

 

 

今夜はタケノコごはんです。

今年はタケノコは裏年だと近隣の人は言っている。
収穫量が少ない、ということ。
お米や野菜に関しては、不作といい、裏年とはあまりいわない。
それは人がコントロールできる、あるいはすべき作物だからだ。
「裏年」という言葉は、コントロールの境界線上から境界外にある。
柿、栗、梅などの果樹。タケノコのような山菜。
実際には、豊作にも不作にも、さまざまな要因があるだろう。
前年の気候。今年の気候。温度や、降水量や、日照時間。
それだけではない、数字では表せない、もっと大きな、何か。
人間がすべてをコントロールすることなんて不可能なのだ。
不可能なことを思い悩んでもしかたがない。
納得し、受け入れ、自然にまかせて暮らす、そのための言葉。
今が裏なら、次は表だと、希望をつなぐ、そのための言葉。
「言霊」は、こういうところにも、いる。

 

 

えっと、きみは、誰だっけ?

 

 

 

6種類くらいあるヒューケラに、買ったときラベルがついていたのを、
植え替え時に捨ててしまったので、名前がわからなくなりました。
ま、いいか。ヒトはヒト、ヒューケラはヒューケラ、てことで。

『時が刻むかたち 樹木から集落まで』(奥村昭雄 農文協)
という本を読んでいる。ときどき開いて、気が向いたところを読む。
「そうだったのか」と驚くこと、「やっぱり」とうなずくことが多い。
柳絮(りゅうじょ)と呼ばれる柳の綿毛の話の中の、
「何千、何万という綿毛から大きく成長した樹にまでなれるのは、
親の一生のなかで平均するとたった二粒だけである」
というくだりに、なんだか、しんとした気持ちになるのだった。

 

本日の「いいね!」


Shylight (動画)
花のような・・クラゲのような。すごくきれい。

アムステルダム国立美術館にあるそうです。
動いているところはこちら
はにかみやのランプ、なのね。

コメント
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