レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

市川ジュンとTONOの新刊

2007-03-18 07:08:00 | マンガ
 市川ジュン『天の黒 地の赤 海の青』
 表題作は1話の読みきりで、あとはシリーズ『十二月の光輝』で看板に偽りみたいな気もするけど、よほどこのタイトルに思いいれがあるのでしょうね。内容の順番としては、表題作が戦争末期から終戦直後、『光輝』が昭和20年の12月なので並べ方は妥当。
 戦争を生き延びた若夫婦が、子供を亡くして、職も失くして、でも新しい子供が出来て希望を持つという結末だけならばありがちかもしれないけど、「替わりじゃないのよ」「もちろん」「子供がいなかったとしてもそれはそれでいいのよ」という会話が非凡。幸せの元を子供だけにすがらない。
 「十二月」とは、婦人参政権が認められた時を指している。正直なところ私は投票にはりきって行くわけではないけど、こういうの読むと、先人たちがようやく勝ち取った選挙権おろそかにしてはいけないなぁと思う。
 ああそれにしても、「嫁」に負担負わせてあたりまえの顔した連中、食事の量を男優先にしていた慣習、そりゃどこの星の話だよ、って言いたくなるけどありがちだったことを思うと怒りがこみあげる・・・。

 TONO『砂の下の夢』2巻
 先月出た。ユーレイやバケモノもあたりまえのように出るからFTと言っていいのだろう。
 砂漠でオアシスの管理を司るジャグロ族は、若いうちは性別がわかりにくい。--この設定で思い出すのは、いにしえの『七つの黄金郷(エルドラド)』。エリザベス1世に仕える海賊家系のレッドフォード侯爵家の人々は、結婚するまで世間に性別を明かさない。「男だからと優位にたつこともなく 女だからと自由を制限されることもなく」男装女装を使い分けている。こういう性別越境は少女マンガという世界の普遍テーマだ。もっとも、『エルド』の場合、根はけっこう保守的なものを感じる。少なくとも、恋は男女間と限定していることは(70年代少女マンガでは無理ないけどね)。その点『砂下』はアバウト。フェイスとチャルは1巻時点では「性別不明のカップル」とされていたけど2巻ではフェイスは男、「チャル」は二人いて男女の双子だと明かされている(でもよその人々にはやはりわかってない)。しかし、フェイスとカップルなのが男女のどちらかなのかは相変わらず不明のまま。こういうさりげないジェンダーレスぶりも、まさしく少女マンガというもので頼もしい。
コメント (2)
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