弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

原発事故とヨウ素剤の服用~三春町の奇跡(3)

2012-08-03 01:01:15 | サイエンス・パソコン
チェルノブイリ原発事故では、多くの子供が甲状腺ガンを発症しました。甲状腺ガンから子供を守るためには、放射能が到来する直前か直後に安定ヨウ素剤を服用することが重要といいます。チェルノブイリ事故で、ベラルーシ、ロシア、ウクライナでは甲状腺ガン患者が多数発症したのに対し、国民に安定ヨウ素剤を服用させたポーランドでは、甲状腺ガンの発症が皆無であったといいます。
このブログでも取り上げた松野元著「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために」85ページによると、ベラルーシで15歳以下の甲状腺ガン発症が増え始めたのは、事故があった1986年から5年経過した90年になってからです。93年には、ベラルーシで10万人あたり甲状腺ガン発症率が5.5人、95、97年には5.6人に達しています。今回の福島事故でも、甲状腺ガンが増えるかどうかはこれから顕在化する問題となるでしょう。
今回の福島原発事故であれば、3月15日に放射能プルームが原発から北西方向に流れた際に、その方向にいた住民、特に子供に安定ヨウ素剤を服用させるべきでした。そして、安全委員会は安定ヨウ素剤を投与させるべきとの助言を行ったのですが、なぜかその助言が現場に届かず、福島県は安定ヨウ素剤服用の指示をとうとう出しませんでした。

安定ヨウ素剤服用の指示は複雑な伝言ゲームを経由することになっていました。

安全委員会 → 国の災害対策本部(ERC) → 現地災害対策本部 → 福島県 → 各市町村 → 住民

3月13日午前、安全委員会は、1万cpmを超えた者には安定ヨウ素剤を投与すべきことを記したコメントをERCに送付しました。しかし、このコメントは、ERCから現地対策本部には伝わりませんでした。
安全委のコメントが安全委員会からERCにFAX 送信され、これをERCに詰めていた安全委所属のリエゾンが受け、災害対策本部(ERC)の医療班の人間に渡したといいます。しかし現地本部側は「そんなファックスを受けとった者はいない」ということです。
安全委の助言が現地に届いていないことは、安全委でも把握されたはずでしたが、安全委は確認や再度の助言を行いませんでした。

福島県の防災計画によると、県知事は、国の指示を待たずとも独自の判断で服用指示を出すことは可能でした。また、県は服用指示を出すための情報をある程度は持っていました。しかし、福島県知事は服用指示を出しませんでした。

国会事故調報告書では、「責任は、緊急時に情報伝達に失敗した原災本部事務局医療班と安全委員会、そして投与を判断する情報があったにもかかわらず服用指示を出さなかった県知事にある」と断じています。

ところで、県からは服用指示が出なかったにもかかわらず、市町村が独自の判断で、住民に安定ヨウ素剤を配布し服用指示した市町村がいくつかありました。政府事故調中間報告によると、三春町は、3月15日、配布のみならず、服用の指示もしたとあります。
三春町は、県からの服用指示が出なかったにもかかわらず、なぜ住民への服用指示を決定できたのでしょうか。それも、3月15日という、まさにぴったりの日時に服用できたというのです。

三春町はなぜ、あのような混乱の最中に、タイムリーな判断を行うことができたのでしょうか。
前回に続き、朝日新聞連載記事「プロメテウスの罠 吹き流しの町」から読み解いてみます。
------朝日新聞記事から--------
15日の深夜、三春町の副町長である深谷氏はただちに、「安定ヨウ素剤を町民に配布する」との課長会の決定を、町長の鈴木義孝氏に報告しました。「わかった」鈴木氏は、深谷市や課長たちに全幅の信頼を置いていました。課長会として決めたと聞くと、議論の経過も理由も聞かず、了承しました。
深谷氏は町議会議長の本多一安氏にも電話で報告しました。(朝日新聞2012年7月20日朝刊・第13回)

安定ヨウ素剤は世帯毎に配ることにしました。世帯ごとのデータづくりは順調に進み、パソコンの中で完成しました。このデータをラベル用紙にプリントアウトし、封筒に貼れば、後はそのラベルを見ながら薬を必要な数ずつ封筒に入れていけばいい。
しかし夜中になって、保健センターにはラベル用紙も封筒も全く足りないことがわかりました。課員総出で役場中を回り、かき集めました。(朝日新聞2012年7月21日朝刊・第14回)
保健福祉課員による封筒のラベル貼りは徹夜で行われ、日付が変わった15日の午前4時ごろ終わりました。
さらにあの震災のどたばたの中、服用の手引を作ったのです。そして、町長名で「住民の皆様へ」という文書を前もって配り、読んでもらうことにしました。(朝日新聞2012年7月22日朝刊・第15回

そして3月15日です。
2号機の圧力抑制室の破損、4号機の水素爆発が相次いで朝6時過ぎに起こりました。原発正門の放射線量はぐんぐん上昇し、当時の北風にのって、100キロ以上離れた茨城県東海村でも放射線量が通常の100倍を超えました。
外国気象機関の予測ではまもなく東風に変わります。放射能は三春上空に来ます。午後には雨になる恐れもあります。そうなれば放射能は三春の町に落ちてきます。
深谷氏は決意しました。町長が来たら、決済を求めよう。
深谷氏の服用の進言に、町長の鈴木義孝氏は短く答えました。「わかりました。責任は持つので進めてください。」(朝日新聞2012年7月23日朝刊・第16回)

福島県三春町は、3月15日午前9時、安定ヨウ素剤を配布し、同時に服用を指示することを決めました。副町長の深谷茂氏は、服用指示の時間を午後1時に定めました。
まずは配布文書です。町長の鈴木義孝氏は、区長に集まってもらうことにしました。文書の各戸配布を依頼するためです。文書は、区長から組長、そして各家へと、ピラミッドを下りていくように流れていきました。
午後1時、三春町全域に防災無線の声が響きました。放射能対策のため、安定ヨウ素剤の配布を始めたことと、薬を受け取ったらすぐに飲むようにとの連絡です。
安定ヨウ素剤は、対象3303世帯のうち3134世帯に配布できました。
『乳幼児への飲ませ方が心配だった。しかし母親たちは、丸薬を砕いたものを受け取ると、子どもがお気に入りのスポーツ飲料やジャムなどに混ぜて与えた。
要は子どもが飲むか飲まないかなのだ。面倒な国の飲ませ方マニュアルなど関係なく、母親の知恵が発揮された。』(朝日新聞2012年7月24日朝刊・第17回)

朝日新聞2012年7月26日朝刊第3面

安定ヨウ素剤を住民に服用させた当日3月15日の夕方、三春町役場に県庁から「誰の指示で配っているんだ。すぐに回収しろ」と命令口調の電話が入りました。しかし、そんな逆風にも、町役場では鈴木義孝町長以下、ひるむ者はいません。ほかのどの自治体よりも素早く情報を集め、あらゆる意見を出して検討し、工夫を重ねて決断したという自負があったからだといいます。

深谷氏は11年12月に副町長を退任しました。

三春町は原発事故直後、知識ゼロ、情報ゼロ、薬ゼロでした。その三春町が、安定ヨウ素剤の存在を知ってからわずか2日で対象住民に飲ませることがで
きたのは、奇跡としか言いようがありません。その裏には、このような人たちがいたのでした。(朝日新聞2012年7月27日朝刊・第20回 「プロメテウスの罠 吹き流しの町」完)
--------以上------------
3月15日の段階で、放射能プルームの侵入を受けた地域、特に原発の北西方向にある飯舘村までの地域については、住民に安定ヨウ素剤を服用してもらうべきでした。そしてそのような判断は、十分になすことが可能であったことが分かっています。
ところが、原子力安全委員会は、一片のファックスを送りっぱなしにしてその後のフォローを怠りました。ファックスを受けた原子力安全保安院は、大事な情報の転送に失敗しました。保安院も専門家集団なのですから、「この段階で安定ヨウ素剤服用の指示が出ないのはおかしい」と当然に気づくべきです。そして福島県知事は、国からの指示がなくても服用指示を出す権能を有していました。県知事とその幕僚も同じく、「この段階で安定ヨウ素剤服用の指示が出ないのはおかしい」と当然に気づくべきでした。

民間事故調の報告書によると、原子力安全保安院は、ノンキャリアの検査官は発足時の約50人から約100人に倍増したにもかかわらず、肝心のキャリア官僚はほとんどが2~3年の人事異動で経産省との間を行き来し、職員のスペシャリスト化が進まず、政策の継続性も乏しかったといいます。院長や次長ポストは技術系だけでなく、事務系官僚も交代で就き、原子力の技術的な知識を持つキャリア官僚はごく少数で「プロ集団」というにはほど遠かったとのことです。
松野元著「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために」では、チェルノブイリ発電所事故のような大きな災害の場合には、解析精度よりも災害対策の速さと大胆さが必要であるため、放射性物質の一部又は全部が環境に放出されるとする予測放出量をSPEEDIにつないで、環境への影響を予測し、実際の影響測定値と比較して予測を修正していくという現実的な方法とか、思い切ってシステムに頼らず、過去の経験から影響範囲を推定すること等の適切な対応が望まれる、としていました。しかし、今回の事故発生時にそのような対応ができなかったことが明らかです。

本来、高級な判断をなすべく期待され、またそのための専門知識を持ち合わせているはずの集団が、その職責を果たすことができませんでした。
それに引き比べ、何の知識も有していない三春町役場は、瞬時にして的確な判断を下し、町民の健康を守るために重大な責任を伴う決定をすることができました。この間のいきさつについては、ぜひ長く日本で語り継ぐべき事象と考えます。その意味で、朝日新聞の「プロメテウスの罠」における連載は、極めて重要なドキュメンタリーとなりました。
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