弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

原発事故とヨウ素剤の服用~三春町の奇跡(2)

2012-08-01 21:06:42 | サイエンス・パソコン
チェルノブイリ原発事故では、多くの子供が甲状腺ガンを発症しました。甲状腺ガンから子供を守るためには、放射能が到来する直前か直後に安定ヨウ素剤を服用することが重要といいます。チェルノブイリ事故で、ベラルーシ、ロシア、ウクライナでは甲状腺ガン患者が多数発症したのに対し、国民に安定ヨウ素剤を服用させたポーランドでは、甲状腺ガンの発症が皆無であったといいます。
このブログでも取り上げた松野元著「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために」85ページによると、ベラルーシで15歳以下の甲状腺ガン発症が増え始めたのは、事故があった1986年から5年経過した90年になってからです。93年には、ベラルーシで10万人あたり甲状腺ガン発症率が5.5人、95、97年には5.6人に達しています。今回の福島事故でも、甲状腺ガンが増えるかどうかはこれから顕在化する問題となるでしょう。
今回の福島原発事故であれば、3月15日に放射能プルームが原発から北西方向に流れた際に、その方向にいた住民、特に子供に安定ヨウ素剤を服用させるべきでした。そして、安全委員会は安定ヨウ素剤を投与させるべきとの助言を行ったのですが、なぜかその助言が現場に届かず、福島県は安定ヨウ素剤服用の指示をとうとう出しませんでした。

安定ヨウ素剤服用の指示は複雑な伝言ゲームを経由することになっていました。

安全委員会 → 国の災害対策本部(ERC) → 現地災害対策本部 → 福島県 → 各市町村 → 住民

3月13日午前、安全委員会は、1万cpmを超えた者には安定ヨウ素剤を投与すべきことを記したコメントをERCに送付しました。しかし、このコメントは、ERCから現地対策本部には伝わりませんでした。
安全委のコメントが安全委員会からERCにFAX 送信され、これをERCに詰めていた安全委所属のリエゾンが受け、災害対策本部(ERC)の医療班の人間に渡したといいます。しかし現地本部側は「そんなファックスを受けとった者はいない」ということです。
安全委の助言が現地に届いていないことは、安全委でも把握されたはずでしたが、安全委は確認や再度の助言を行いませんでした。

福島県の防災計画によると、県知事は、国の指示を待たずとも独自の判断で服用指示を出すことは可能でした。また、県は服用指示を出すための情報をある程度は持っていました。しかし、福島県知事は服用指示を出しませんでした。

国会事故調報告書では、「責任は、緊急時に情報伝達に失敗した原災本部事務局医療班と安全委員会、そして投与を判断する情報があったにもかかわらず服用指示を出さなかった県知事にある」と断じています。

ところで、県からは服用指示が出なかったにもかかわらず、市町村が独自の判断で、住民に安定ヨウ素剤を配布し服用指示した市町村がいくつかありました。政府事故調中間報告の第5章308ページでは以下のように報告されています。
『福島第一原発周辺の幾つかの市町村は、3月15日頃から、独自の判断で、住民に安定ヨウ素剤の配布を行っていた。例えば、三春町は、3月15日、配布のみならず、服用の指示もした。三春町は、14日深夜、女川原子力発電所の線量が上昇していること、翌15日の天気予報が東風の雨で、住民の被ばくが予想されたことから、安定ヨウ素剤の配布・服用指示を決定し、同日13時、防災無線等で町民に周知を行い、町の薬剤師の立ち会いの下、対象者の約95%に対し、安定ヨウ素剤の配布を行った。なお、三春町が国・県の指示なく安定ヨウ素剤の配布・服用指示をしていることを知った福島県保健福祉部地域医療課の職員は、同日夕方、三春町に対し、国からの指示がないことを理由に配布中止と回収の指示を出したが、三春町は、これに従わなかった。』

三春町は、県からの服用指示が出なかったにもかかわらず、なぜ住民への服用指示を決定できたのでしょうか。それも、3月15日という、まさにぴったりの日時に服用できたというのです。

朝日新聞連載記事「プロメテウスの罠 吹き流しの町」で、まさにそのときのいきさつが語られていました。

地震・津波と原発事故直後、福島県東部の被災地では、停電、通信途絶などに見舞われていたはずです。ところが三春町では、幸いなことに、電気もインターネットも通じていたようです。
-------朝日新聞記事----------
私が入手した一番古い記事は「プロメテウスの罠」連載第6回です。それによると、事故直後、三春町には大熊町の住民が避難してきており、大熊町職員も三春町役場に詰めていたようです。大熊町職員の石田仁氏が「SPEEDIみたいな図」を持っていました。それは、石田氏が借用したパソコンであれこれ検索しているうちに見つけた、ノルウェーとオーストリアの気象研究機関が作った放射能の拡散予測図でした。

朝日新聞2012年7月13日朝刊第3面

1986年のチェルノブイリ事故をきっかけに、ヨーロッパ諸国は放射能が自分の国にいつ、どのくらい飛んでくるかを予測する技術をみがきました。彼らは福島での原発事故発生後、ただちに日本の気象データを取り寄せ、予測をつくり、インターネットで公開していたのです。
3月14日の段階で、日本政府はSPEEDIのデータを持ちながら、国民に出しませんでした。しかし三春町の幹部職員は、SPEEDIと同じ概念の予測図を、石田氏のおかげで目にすることができたのです。
ノルウェーとオーストリアの予測によると、14日中は北風ですが、15日になると風は東に変わり、放射能は西の方に流れます。三春町は福島第一原発の真西45キロにあるのです。14日の段階で、「明日15日は警戒が必要」と気づいていたのです。(朝日新聞2012年7月13日朝刊・第6回)

そのころ、保健福祉課長の工藤浩之氏は、保健婦らが福島県の自治会館でもらってきた安定ヨウ素剤を、どうやって配るべきか検討していました。もう一つ、「国の指示や県知事の判断で飲ませる」と定められているものを、町の判断で勝手に飲ませていいものかどうか悩みました。迷った総務課長の橋本国春氏は、14日午後8時ごろ、家に戻っていた深谷茂副町長に相談の電話をかけました。
「課長を全員集めろ。課長会を開く。」深谷氏はいいました。(朝日新聞2012年7月15日朝刊・第8回)
3月14日の夜9時、三春町の課長12人全員に「課長会やっからすぐ来ーっ」と招集が係りました。

保健福祉課長の工藤浩之氏は、13、14日の2日をかけて安定ヨウ素剤について調べまくったようです。工藤氏は課長会で、安定ヨウ素剤を飲んだ場合のメリット、デメリットを説明しました。(朝日新聞2012年7月16日朝刊・第9回)
議事を進行する副町長の深谷茂氏が発言しました。
「俺はこの薬を配ろうと思う。みんなの意見を聞きたい。質問はするな。意見をいえ。」(朝日新聞2012年7月17日朝刊・第10回)

三春町は、安定ヨウ素剤の存在に気付いてから1日余りで、必要な数をそろえましたが、それを配るには町の枠を超えた決定をする必要がありました。三春町が町の判断で配ることは、こうした決まりに反することになります。
ただ三春町は、大熊町職員の石田仁氏のおかげで、SPEEDIのデータを国が隠していることに「町として」気づいていたと同時に、外国の気象機関が、3月15日は原発の西に放射能が広がると予測していることも知りました。
もし予測通り放射能がこちらに来てしまったらどうするか。
時刻は深夜11時です。課長全員の意見を聞き終わって、副町長の深谷氏はまとめました。「リスクはあるがそれ以上の効果がある。やった方が町民の将来につながる。だから、配ることにする。」
そしてこう付け加えました。「責任は、俺が取る。」
このとき、生涯学習課長の遠藤弘子は気づいたといいます。
「この課長会は、深谷さんが、自ら覚悟を決めるために開いたんだ」(朝日新聞2012年7月18日朝刊・第11回)
-------以上-----------
以下次号
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 原発事故とヨウ素剤の服用~... | トップ | 原発事故とヨウ素剤の服用~... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サイエンス・パソコン」カテゴリの最新記事