弁理士の日々

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荻窪~荻寺

2016-03-21 14:10:20 | 杉並世田谷散歩
久しぶりの荻窪ネタです。

荻窪駅の北口から白山通りを線路沿いに西に向かうと、白山神社を通り越し、環八の上を横断します。そこにこの寺があります。

慈雲山荻寺光明院

荻窪の地名のルーツということで、荻窪巡りで外すことができません。

説明板によると、
慈雲山光明院は、通称「荻寺」と呼ばれ、荻窪という地名もその名に由来するといわれています。
この寺の「縁起石碑」によれば、和銅元年(708)に行基作の仏像を背負った遊行中の僧が、この地を通りかかったところ急に仏像が重くなり、荻の草堂を作って仏像を安置したのが開創と伝えています。
本尊の千手観音は南北朝時代の作であり、境内には本尊と同時代に作られたとみられる碑などが出土しており、当寺の開創は南北朝期にさかのぼるものと考えられます。
江戸時代は本尊は「荻窪の観音様」の名で近在の人々に親しまれ、大正時代までは本尊の写し観音が地域を巡業する行事が行われ、信仰を集めたと言われています。

明治21年(1888)甲武鉄道(現在の中央線快速)建設のため、本堂が現在地に移されました。

環八に向かう側に正門があります。

 
案内板                        正門横の鐘楼

この寺の所蔵物について、門のそばには3つの案内塔が設けられていました。いずれも杉並区指定有形文化財です。
「木造 千手観音菩薩座像」
「夜念仏結衆名供養板碑」
「天和二年銘手水鉢」

本堂

 
南側、中央線の線路の向こうに墓地が見えます(左上写真)。明治時代に今の中央線の線路が建設されたとき、本堂のある境内と墓地とが線路で分断されてしまったのですね。線路は、その後複々線化されましたから、境内の浸食はさらに進んだのでしょう。
本堂側から墓地に行くために、専用の地下通路が作られています(右上写真)。墓地側で公道に通じていますので、普通の道としても使えます。
 
西側から、墓地と線路を眺めたのが上の写真です。


西側の入口、裏門になるのでしょうか。
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