弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

国家の品格

2006-05-28 00:02:56 | 趣味・読書
藤原正彦著「国家の品格」が大ベストセラーになっているようですね。私も遅ればせながら読んでみました。小気味よい本ではあります。
なるほどなあ、と思う点、おもしろいけどそううまくは運ばないだろう、と思う点、ちょっと勘違いあるいは考えが浅いよ、と思う点など、満載です。以下、《》の部分が藤原先生の文章です。
国家の品格 (新潮新書)
藤原 正彦
新潮社

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《「論理」だけでは世界が破綻する》
《論理には出発点が必要》
「AならばB、BならばC」という三段論法で、前提Aが間違っていたら論理がどれだけ厳密でも結論Cは誤りになる、ということです。
私は、「太平洋戦争中の神風特攻は、論理的には正しかった」という見解です。もちろん「○○という前提のもとでは」ということで、前提条件によってはとんでもない論理の帰結に至る証左と考えています。この点は別の機会で。

《マスコミが第一権力に》
現在の日本やアメリカは主権在民の民主主義だが、主権在民とは「世論がすべて」ということで、事実上、世論とはマスコミだ、という主張です。そのとおりですね。現代日本もそうだし、満州事変から日中戦争、太平洋戦争に至る日本の進路もおなじ力学で決まっていたように思います。

《国民は永遠に成熟しない。放っておくと、民主主義すなわち主権在民が戦争を起こす。それを防ぐために必要なものが、実はエリートなんです。・・・
真のエリートには二つの条件があります。第一に、文学、哲学、歴史、芸術、科学といった、何の役にも立たないような教養をたっぷりと身につけていること。
第二条件は、「いざ」となれば国家、国民のためによろこんで命を捨てる気概があることです。》
この点は納得です。ただし、「エリート」と聞いただけで拒否反応を示す現在の日本で、これを実現することは至難の業でしょう。

《世界中の指導者が例外なく、国益しか考えていないからです。日本の指導者だけが「ナショナリズムは不潔」などと高邁な思想を貫いていると、日本は大損をしてしまう。》
アメリカ人は、普段は意見が違う人同士でも「国益」と聞いたとたんにがっちりとスクラムを組む。日本人は普段仲良くても「国益」と聞いたとたんにそっぽを向く、という傾向があります。「国益=悪」という認識ですね。これでは厳しい国際競争で勝てるはずがありません。

《「武士道精神」の復活を》
私も、明治期の日本を支えていたのは武士道精神かもしれない、とは思います。しかし、武士道精神は昭和初期(昭和5年~20年)に狂った進化をし、終戦と同時に日本人は武士道精神全体を、ボロぞうきんの如く捨て去ってしまいました。あたかも、健全な武士道精神という組織にガン細胞が発生したのに対し、健全な部分も含めてすべてを切除してしまったようなものです。
一度完全に捨て去った文化を、もう一度取り戻せるか、という問題ですね。私は無理じゃないかと思っているのですが。

《美しい情緒は、「戦争をなくす手段」になる》
この本の最大の弱点は、日本の戦争責任を軽く見ていることです。先の戦争中、日本軍は現地の住民に対して残忍な行為に及んだ事例が多すぎます。藤原先生がいう日本の美しい情緒と武士道精神とがありながら、なぜこのような残忍な行為を止めることができなかったのか、それをきちんと解明しない限り、「日本人が有している美風で世界を平和にできる」と主張しても説得性がありません。詳しくは別の機会に。

《日亜化学工業の元社員が・・・、一審の東京地裁は法外な二百億円もの・・。企業は強者だから悪、一研究者は弱者だから善という、マスコミをはじめとする「ポリティカリー・コレクト」の気運に迎合したのでしょう。》
このように、私が経緯を熟知している事件の話になると、「この先生はひとつひとつの話題について掘り下げた上で評論しているわけではないな」というのが見えてきます。そういった点では、他のすべての論点についても少し引いて眺めた方がよさそうです。

この本は全体として、「いい話だけど、そんなに簡単にいかないよ」という感想を持つ内容ですが、とにかく二百万部売れたということですから、この日本に何らかの影響を及ぼすことが可能になるでしょうか。
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