弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

原子炉建屋への放水作業の経緯

2011-04-03 20:30:29 | サイエンス・パソコン
福島第一原発の3号機核燃料プールへの放水がスタートしたのは3月17日でした。
その前日の16日だったでしょうか。報道で「警視庁機動隊が保有する高圧送水車を用いて放水し、原子炉建屋上部の核燃料プールに注水する」と報じられていました。「えっ、何で消防署の消防車じゃないの?」との疑問が真っ先によぎります。私の周りの人たちは「消防車じゃ圧力が足りないんだ」と言っている人もいました。圧力が足りなくても、はしご車を使えば燃料プールの近くまで寄れるのに。

17日になると、まずは自衛隊のヘリコプターを用いた放水です。1回に7トンといいますが、プールの容量は1400トンだそうじゃないですか。それに放水の映像を見たら、7トンのうちの2トンでもプールに到達すれば良い方、といったような状況でした。
次いで警察の放水車での放水開始です。うまくいかなかったようです。
それに引き続き、航空自衛隊の消防車による放水が始まりました。自衛隊の消防車が、消防署の消防車よりも性能が良いのかどうかわかりませんが。

それから2日経って、19日に東京消防庁ハイパーレスキュー隊の屈折放水塔車が登場し、難なく核燃料プールへの注水をやってのけました。

さらに22日には、コンクリートポンプ車の登場です。

こうして経緯を振り返ってみると、役に立たない順に登場したことがわかります。コンクリートポンプ車は本部がその存在を知らなかったので、最後に登場したことはやむを得なかったとして、東京消防庁の屈折放水塔車がなぜ4番目にしか登場しなかったのか。効果が薄いことは始めから判っていたであろうヘリコプター放水をなぜ実施したのか、という点がどうしても疑問となります。

《無理にヘリコプター放水を実施した理由》
週刊文春3月31日号によると、ヘリコプターによる放水が管直人首相と北澤俊美防衛大臣から陸上自衛隊最高幹部に要望として伝えられたのは16日でした。なぜ唐突にヘリコプター放水案が出てきたのか。
文春によると、それはパニック的な円急騰と株安を受け、管首相と北澤大臣がなにがしかのパフォーマンスが必要だと決断したためだとしています。北澤大臣は「今日が限界だと判断し決心した」と意味深な発言をしましたが、「今日が限界」というのは、株安の歯止めをかけるための限界だったのではないかというのです。ヘリコプター作戦が終わった午後4時、防衛省の会議で北澤大臣は「おかげで、株価の下落に歯止めがかかった」と発言したそうです。

《警視庁の放水車が(車輛の中では)最初に呼ばれた理由》
3月31日日経朝刊によると、消防庁を所管する総務省からは「機動隊案はある閣僚の思いつきと聞いた。事務次官会議などで全省庁の資源や政策を持ち寄れば、まず消防車の出動が先だろう」と疑問の声が上がったといいます。
しかし、事務次官会議を開くまでもなく、そりゃ機動隊放水車よりも消防車が先でしょう。呆れてものが言えません。

《東京消防庁の屈折放水塔車が最後に登場した理由》
首相官邸災害対策ページに行くと、「直近の政府発表」の2番目に「■ 平成23年(2011年)福島第一・第二原子力発電所事故について /」という欄があります。ここをクリックすると、標題のpdfファイルの最新版を見ることができます。
もっと前に気づいておくべきでしたが、私は最近このファイルに気づきました。
この書類の「4.各省庁の活動状況」の終わりの方に「○消防庁」の欄がありまして、その3月12日に興味深い記載があるのです。
『3月12日
18:02 原子力安全・保安院から施設を冷却するための装備を持った部隊を派遣してほしいとの要請があり、消防庁長官から、東京消防庁のハイパーレスキュー隊及び仙台市消防局の特殊装備部隊を緊急消防援助隊として派遣要請
 →原子力安全・保安院の要請取り消しにより、中止
『3月17日
07:00 総理大臣から東京都知事に対し、福島第一原発への特殊車両等の派遣の要請があり、都知事がそれを受諾。これを受け、18日00:50、消防庁長官から東京消防庁のハイパーレスキュー隊等を緊急消防援助隊として派遣要請(派遣:18日~)』

3月12日に何があったのでしょうか。
12日の時点で、原子力災害対策本部はハイパーレスキュー隊とその装備について知っていたことになります。それにもかかわらず、一度は派遣要請を取り消し、再度派遣要請したのは17日、まさに自衛隊のヘリコプター、警視庁機動隊の放水車による放水がはじまった日です。

誰かが、ハイパーレスキュー隊の出動をとめたのでしょうね。この件のいきさつについては、いずれ追求すべきです。
また、原子力災害対策本部からの文書「平成23年(2011年)福島第一・第二原子力発電所事故について」の中に、3月12日の「派遣要請取り消し」の文章を挿入した人物がいるわけですが、何かを伝えたかった意思が感じられます。
コメント
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