<2733> 余聞、余話 「過程と成就」
濃緑(こみどり)の柚子の実太りゆけるなり雨の日晴の日日々なる過程
我が家のユズは豊年の年周りに当たるからか、今年は香りのよい白い五弁花を沢山咲かせ、豊作を思わせた。花には頻りにチョウやカミキリムシの類が訪れ、にぎわった。花が散って木下を白く染めた後、ごく小さな実が樹冠いっぱいに点灯した。あれから一月半ほど。花から実への移行も順調だったので、大豊作だと思っていたが、その後の天候不順で、強風に揺さぶられる日が何日かあり、かなりの実が落ちることになった。
落果の光景には少し惜しい気持ちになったが、思えば、これは自然摘果で、数量を減らすことにはなったけれど、ユズの木には実を育むに適当量になったということが出来るかも知れない。実はラムネ玉くらいから現在はピンポン玉を少し小さくしたくらいに大きくなり、葉とほぼ同色の濃い緑色をしているので上手く数え切れないが、百個前後は残っていると思われる。
これからなお大きくなって、秋に入ると黄色く色づき、晩秋のころ収穫出来る。かなり太って来たユズの実には、なお四、五ヶ月、花から言えば、六、七ヶ月の過程の時が要る。つまり、ユズの成果、実の成就には六、七ヶ月の辛抱が要るということになる。もちろん、辛抱の時は期待と充実の時でもあり、これはまさしく生のダイナミズムであり。その精神性をも思わせる。
辛抱と言えば、ユズには、「桃栗三年柿八年」に続いて「柚子は九年でなりかねる」とか「柚子の大馬鹿十三年」と囃され、ユズは辛抱の権化、象徴のように言われる。これは「面壁八年」の達磨大師の教えや「石の上にも三年」という諺にも通じるところ。もっとスケールの大きい諺で言えば、「ローマは一日にして成らず」というところ。生の道筋における教訓の言葉とも受け取れる。
言わば、辛抱は成就への道程。「急がば回れ」というような言い方もされる。要は何を成すにも時が必要だということである。また、「待てば海路の日和あり」とか「急いては事を仕損じる」という言葉もある。という次第で、結論的に言えば、過程があって成果はあるということになる。過程を端折ることをこの世の仕組みは入れないように出来ている。人生などもこの仕組みの中に組み込まれてあると思える。冬至の柚子湯を楽しみにユズの実の育ち行くのを待とう。 写真はユズの花と若い実。